ヨルシカ『嘘月』歌詞の意味を考察・解釈

雨が降った 花が散った
ただ染まった頬を思った
僕はずっと バケツいっぱいの
月光を飲んでる

ほんとなんだ
夜みたいで 薄く透明な口触りで
そうなんだって 笑ってもいいけど
僕は君を待っている

夏が去った 街は静か
僕はやっと 部屋に戻って
夜になった こんな宵月を
一人で見てる

ほんとなんだ
昔の僕は 涙が宝石でできてたんだ
そうなんだって 笑ってもいいけど

声はもうとっくに忘れた
思い出も愛も死んだ
風のない海辺を歩いた あの夏へ

僕はさよならが欲しいんだ
ただ微唾むような
もの一つさえ言わないまま
僕は君を待っている

星を取った 一つ取った
何も無い部屋で春になった
僕は愛を底が抜けた柄杓で飲んでる

ほんとなんだ 味もしなくて
飲めば飲むほど喉が渇いて
そうなんだって 笑ってもいいけど
僕は夜を待っている

君の鼻歌が欲しいんだ
ただ微唾むような
もの一つさえ言わないまま
僕は君を待っている

君の目を覚えていない
君の口を描いていたい
もの一つさえ言わないまま
僕は君を待っていない

君の腹を知っていない
君の頬 思っていない
さよならすら言わないまま
君は夜になっていく

ヨルシカ『嘘月』の概要

今回は人気アーティストであるヨルシカの楽曲『嘘月』の歌詞考察をしてみたいと思います。

最初に考察ポイント紹介しておきます。

・タイトルや歌詞に登場する「月」や「夜」とは

・僕と君の関係性とは

上記の点をメインに考察を進めていきますので、どうぞ最後までお読みください。

新曲となる『嘘月』は映画「泣きたい私は猫をかぶる」のエンディング曲として起用されています。
加えて前作「夜行」「花に亡霊」も挿入歌として起用されています。

映画内容もさることながら、贅沢過ぎるラインナップにファンも歓喜の声を上げずにはいられないでしょう。

本日(2020年6月18日) Netflixで映画が公開されました。
考察では映画の内容にやんわり触れている部分があります。
まだ視聴されていない方やネタバレを好まない方は閲覧を控えてください。

考察に関係してくるので映画の内容を紹介しておきます。

主人公の 笹木美代(ささき・みよ) は元気いっぱいの中学二年生。
クラスメイトからは「ムゲ(無限大謎人間)」と呼ばれている。
そんなムゲは、大好きなクラスメイトの日之出賢人(ひので・けんと)へ日々アピールを続けるが全く相手にされない。

彼女は ある夏祭りの夜お面屋にいた猫の店主から、「かぶると猫へと姿を変えることができる」という不思議なお面をもらい「猫(太郎)」として日之出の家に通うようになる。

人としてまた猫としての世界を行き来するうちに揺れ動く主人公の心。
主人公が「猫」を介して自分を見つめ直す奥深い物語となっています。

映画を見て思ったことは、メインの2人だけでなく登場人物のほとんどが「自分の気持ちに嘘をついて生きている」ということです。

ヨルシカのn-bunaさんもコメントの最後で次のように述べていました。

「嘘月」  …嘘つきです。歌詞の節々に尾崎放哉の句を散りばめています。

https://news.yahoo.co.jp/articles/d6ea6c0dea365ecd914eac6953bd8f8daf3e3266

ですから今作『嘘月』では、自分の気持ちに嘘をついて生きているすべての人に向けられた楽曲であると考えました。

メロディーについても触れておきましょう。

リズミカルに演奏されるピアノとギターに思わず身体が揺れてしまいます。
Aメロ和音からBメロのアルペジオへの移り変わりがとても美しく快感になります。

全体的にピアノが思いの切なさを、ギターが思いの力強さを伝えているように感じました。

それではさっそく気になるタイトルや歌詞全体の意味を考察していきましょう。

『嘘月』の意味とは

タイトルは「嘘」と「月」を組み合わせた造語だと思われます。
前述でも今作『嘘月』が、自分の気持ちに嘘をついて生きているすべての人に向けられた楽曲であると述べました。
その点を強調するために「嘘」というワードを含んでいると考えました。

「月」はどのように考えることができるでしょうか。
n-buna さんのコメントにもありましたが、 尾崎放哉の句にある語を用いたのでしょう。

尾崎放哉の作品から「月」に関する句を抜き出してみました。

月夜戻りて長い手紙を書き出す
・こんなよいを一人で見て寝る
月夜の葦が折れとる
・バケツ一杯の月光を汲み込んで置く

彼に倣って n-buna さん も「月」を美しい対象としつつ、孤独や一人きりの状態を際立たせているように見受けられます。
ですから歌詞中の「月光」や「宵月」もそうした用途で用いられていると解釈しました。

それは映画の登場人物たちの孤独や一人きりの状態を描写しているのでしょう。
劇中では、綺麗な景色を2人で見たいという願いも伝えられていました。
また景色だけでなく美しい感情や関係もこれに含まれるのでしょう。

つまり『嘘月』は、他者と美しいものを共有したいと願うものの、不器用さが障壁となり自分の気持ちに嘘をついてしまう人の心情を表現していると解釈しました。

『嘘月』歌詞の意味

変わりゆく季節と変わらない想い

雨が降った 花が散った
ただ染まった頬を思った
僕はずっと バケツいっぱいの
月光を飲んでる

ほんとなんだ
夜みたいで 薄く透明な口触りで
そうなんだって 笑ってもいいけど

1番Aメロで主人公が「僕」と表現されています。
今回の考察では「僕」を 日之出、後に出てくる「君」を笹木美代(以下ムゲと表記)としたいと思います。

「雨が降った 花が散った」という表現は、春から初夏へと季節が移り変わったことを伝えているようです。

夏の太陽に頬が染まるように、日之出 は大切な人を想い頬を赤く染めた時を回想したのでしょう。

続く部分では「僕はずっと バケツいっぱいの  月光を飲んでる」と述べています。

これは幸せな瞬間をめいいっぱい感じているように思えます。
しかしフレーズの元となる「バケツ一杯の月光を汲み込んで置く」を記した尾崎放哉は心身共に追い詰められていました。

その点が反映されているなら、大切な人の美しい魅力に気づきながらも、それに上手く応えられない日之出のやるせなさを表現していると解釈できます。

「夜みたいで」とはどのような意味でしょうか。

「夜」という表現は歌詞中で何度も用いられています。
さまざまな解釈が出来る用語です。

筆者は「夜」を「見えなくなる」ことの描写だと考えました。
さらに「夜」は「月」の魅力を際立たせますから、「魅力を感じる時間」とも言えるでしょう。

また「薄く透明な口触りで」とは「不確かな感触」を指すと考えました。
これらは「月光を飲んでる」ことに関連しているように感じます。

ですから、 日之出がムゲの魅力に気づきながらも、好意の感情が見えなくなったり不確かなものになっていく様子を描いたのかもしれません。

日之出 は揺れる心情を笑って見過ごすこともできます。
しかしそうはいきませんでした。
ムゲを何度も突き放すたびにムゲを思ってしまうのです。

一人、月を見上げて

夏が去った 街は静か
僕はやっと 部屋に戻って
夜になった こんな宵月を
一人で見てる

ほんとなんだ
昔の僕は 涙が宝石でできてたんだ
そうなんだって 笑ってもいいけど

ここでの「夏が去った」とは、夏から秋への移り変わりと感情が冷めていく様子を同時に描写しているようです。

「僕はやっと 部屋に戻って」というフレーズ通り、日之出が自問と回想を繰り返すシーンがあります。

夜になった こんな宵月を 一人で見てる」の背景にはどんな心情が隠れているのでしょうか。

この部分は 尾崎放哉 の「こんなよい月を一人で見て寝る」から取られているのでしょう。

「宵月(よいづき)」(日が沈んで間もないころ)の間だけ出ているを指します。

これは 日之出が、日中では考えないことを夜に黙想しているという点を伝えているように思えます。
黙想には「二人で一緒に幸せな時間を過ごせたら」という魅力的な願いも含まれるのでしょう。

脳裏にどれだけ美しい光景が浮かんでも、黙想が終われば部屋には自分一人がいます。

「昔の僕は 涙が宝石でできてたんだ」とは興味深い表現です。
「宝石」1粒は、燦然と輝きを放ち人を魅了します。

「昔の自分は素直に宝石のように綺麗な涙を流せていた」という意味だと考えました。
彼の純粋さや素直さがフレーズから垣間見れます。

同時に過去と比べ、自分が感情表現が上手くできなくなってきたことを伝えているのだと考えました。
自由に感情が伝えられない彼の孤独は、時間経過と共にどんどん大きくなっていったことでしょう。

忘れたものと死んだもの

声はもうとっくに忘れた
思い出も愛も死んだ
風のない海辺を歩いた あの夏へ

Bメロでは 日之出の苦悩と願いが歌われています。

「声」とは大切な人の魅力や詳しいことを指すのでしょう。
それを「忘れた」とは非常に悲しいことです。
劇中でも「相手を良く知らない」という点が強調されていました。

自分の心を閉ざし、気持ちを偽るうちに「思い出も愛も死んだ」つまり喪失していったことが綴られています。

「風のない海辺を歩いた あの夏へ」とは、自分が望む最高の状態を描写しているのでしょう。

日之出にとってそれはムゲとの忌憚のない話し合い、そして好意を寄せ合う状態を指していると言えます。

物言わぬまま求める

僕はさよならが欲しいんだ
ただ微唾むような
もの一つさえ言わないまま
僕は君を待っている

サビでは「さよならが欲しいんだ」と別れについて言及しています。

日之出の立場で考えると、この「さよなら」はムゲではなく「気持ちに素直になれない自分」を対象としていると理解できます。

「微唾(まどろ)む」とは少しの間うとうとすることです。
そのように意識が鮮明でない状態で、「もの一つさえ言わないまま」つまり気持ちを言葉にしないままムゲを求めてしまう彼と重なりました。

愛を渇望するも満たされず

星を取った 一つ取った
何も無い部屋で春になった
僕は愛を底が抜けた柄杓で飲んでる

ほんとなんだ 味もしなくて
飲めば飲むほど喉が渇いて
そうなんだって 笑ってもいいけど
僕は夜を待っている

2番Aメロでは、愛を渇望するも満たされない様子が綴られています。

「星を取った」ことにより「春になった」とは、大切な人の存在が自分の心を温かくしている様子を描写しているのでしょう。

「愛を底が抜けた柄杓で飲んでる」とは、 愛を渇望するも満たされない様子を描写しているようです。
この部分も 尾崎放哉の「底がぬけた柄杓で水を呑もうとした」から取られていると考えられます。

続く部分の「ほんとなんだ 味もしなくて 飲めば飲むほど喉が渇いて」からも愛を渇望しても味気ない日々が続き、少しも満足感が得られない様子が伝わります。

それでも「夜を待っている」つまり渇望や味気ない日々が見えなくなるほどに無くなることを願っています。

本当の君を教えて

君の鼻歌が欲しいんだ
ただ微唾むような
もの一つさえ言わないまま
僕は君を待っている

君の目を覚えていない
君の口を描いていたい
もの一つさえ言わないまま
僕は君を待っていない

君の腹を知っていない
君の頬 思っていない
さよならすら言わないまま
君は夜になっていく

ラストの部分では、日之出のムゲに対する欲求が強まっているのを理解できます。

「君の鼻歌が欲しいんだ」から、ムゲにいつでも元気で明るく振舞って欲しいと彼が願っているのがわかります。

ムゲが猫になって人間でいることを放棄したときに感じた彼の心情と重なります。
彼だけでなくムゲやその他の登場人物も大切な人の笑顔を常に願っています。

注目したいのは「君の腹を知っていない」というフレーズです。
日常でも用いられる「腹を割って話す」や「腹の内を明かす」には、隠さずに本当のことを言うという意味があります。

ですから日之出もムゲも「相手の本当の人となりや心にあるもの」に関心があると理解できます。

「さよならすら言わないまま 君は夜になっていく」とは劇中のラストシーンを連想させます。

一生涯「猫」として生きなければならない、というムゲの事実を知ったときの日之出の心情と重なります。

心につかえた大切な言葉が2人を苦しめ、また考えさせます。
何も言えないまま、感情表現できないまま「君は夜になっていく」つまり人としてのムゲが見えなくなっていくようでした。

最後には「猫をかぶっていない」本当の自分で気持ちを言い合えた二人。
その時の爽やかで透き通った心は、嘘偽りのない状態で月の綺麗さを称賛する人の心と同じだったかもしれません。。

まとめ

いかがでしょうか。
事前に注意はしたものの、劇中の核心となるシーンや描写に言及するのは極力避けました。

今回は「僕」を 日之出 にして考察しましたが、ムゲを視点にした考察も興味深かったです。
どちらでも展開できると感じましたね。

映画を見終わった率直な感想としては「素直に生きよう」でした。
自分のうちにある感情はいつでも言葉にできると考えがちです。
しかしそうではないことを知り、身をつまされる思いで視聴していました。

映画のスケール感と構成に素晴らしさを感じると同時に、それを美しく飾るヨルシカにも感動しました。

教訓的で奥深い作品をありがとうございました。
ここまで記事を読んで下さった皆さんにも感謝します。
ありがとうございました。

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