ヨルシカ『雨とカプチーノ』歌詞の意味を考察・解釈

灰色に白んだ言葉は
カプチーノみたいな色してる
言い訳はいいよ 窓辺に置いてきて
数え切れないよ

灰色に白んだ心は
カプチーノみたいな色してる
言い訳はいいよ 呷ろうカプチーノ
戯けた振りして

さぁ揺蕩うように雨流れ
僕らに嵐す花に溺れ
君が褪せないような思い出を
どうか、どうか、どうか
君が溢れないように

波待つ海岸 紅夕差す日
窓に反射して
八月のヴィスビー 潮騒
待ちぼうけ 海風一つで

夏泳いだ花の白さ、宵の雨
流る夜に溺れ
誰も褪せないような花一つ
どうか、どうか、どうか
胸の内側に挿して

ずっとおかしいんだ
生き方一つ教えてほしいだけ
払えるものなんて僕にはもうないけど
何も答えられないなら言葉一つでもいいよ
わからないよ
本当にわかんないんだよ

さぁ揺蕩うように雨流れ
僕らに嵐す花に溺れ
君が褪せないように書く詩を
どうか、どうか、どうか
今も忘れないように

また一つ夏が終わって、
花一つを胸に抱いて、
流る目蓋の裏で
君が褪せないようにこの詩を
どうか、どうか君が溢れないように

『雨とカプチーノ』とは2019年8月1日にネット上で公開された楽曲です。
同年8月28日リリースされる2nd Full Album 「エルマ」に収録されていま
す。

前作「だから僕は音楽を辞めた」に登場した青年「エイミー」から送られてきた
手紙に影響を受けた「エルマ」が手掛けた楽曲も収録されているようです。

タイトルに含まれる「カプチーノ」から前作「詩書きとコーヒー」アンサー
ソングではないかと予測されましたが、実際にその点が明らかにされました。

ヨルシカの作品の多くには「エイミー(男性」と「エルマ(女性)一部考察では
彼女の音楽」が登場し物語が綴られています。

「詩書きとコーヒー」ではエイミーの日本での生活を連想させ、音楽で食べる
ことが出来ない苦しい日々が綴られていました。

今作『雨とカプチーノ』ではエルマがエイミーと音楽を共有し、また生き方まで
も同調させる様が描かれていました。

MVはこれまで多くのヨルシカ作品を手掛けてきたぽぷりか氏が監督を務めてい
ます。
絵の具を垂らしたような独創的なCGがアーティスト感を増し加えていますね。

MVと歌詞を併合していきながら解釈を進めていきたいと思います。
それではさっそく気になる歌詞の考察を始めていきましょう。


タイトル『雨とカプチーノ』歌詞の意味

「雨」は数多くの歌のタイトルに用いられてきましたが
「悲しみ」「淋しさ」などを情緒とともに伝える語です。

さらに「カプチーノ」とはイタリア語であり(cappuccino)、イタリアで好ま
れているコーヒーの飲み方の1つです。
陶器のコーヒーカップに注いだエスプレッソに、クリーム状に泡立てた牛乳を加
えたものをいう。

カプチーノ(カップッチーノ)という言葉は、元来はカトリック教会の一派であ
るカプチン会の修道士のことを指し、彼等が着るフードのついた修道服、カップ
ッチョ(cappuccio、「頭巾、フード」の意)にちなむとされる。より具体的に
は、カプチーノの茶色が修道士の服の色と似ていたから、という説や、エスプレ
ッソに浮かんだミルクの泡を蓋に見立てたから(cappuccioには「蓋」の意味も
ある)という説、さらに白い泡をコーヒーが囲む様子が、頭頂部のみを剃髪した
修道士の髪型に似ているから、という説もある。

上記の由来がMVに関係しているのだと筆者は考えました。

・カプチーノが「2色の混ざり合わない」もので構成されているという点。
・エルマの黒い衣装が修道服に見えるという点。
・「蓋」という意味が前作、そして今作に共通する「想い出を閉ざす」様子を
  描写している点

これらを歌詞ごとに織り交ぜながら説明していきます。

『雨とカプチーノ』歌詞の意味

灰色―白黒はっきりしない気持ち

灰色に白んだ言葉は
カプチーノみたいな色してる
言い訳はいいよ 窓辺に置いてきて
数え切れないよ

灰色に白んだ心は
カプチーノみたいな色してる
言い訳はいいよ 呷ろうカプチーノ
戯けた振りして

今作はエルマという女性が描いた夢を題材としています。
彼女の気持ちは「灰色」として表現され白黒はっきりし
ません。
どんな点についてそのように感じているのでしょうか。

それは大切な人、青年エイミーについてです。
彼女は彼の音楽と生き方を取り入れようと試みますが、
思うように上手くいきません。
混ざることなく分離する液体のように異質なのです。

「自分の意志で混ざりたくないだけ」そんな言い訳が
虚しく聞こえるほど心は沈んでいきました。

MVでは「白」そして「黒」の色が目立って使用されて
います。
エルマそしてエイミーの音楽や生き方を色で表現してい
ると考えて良いでしょう。


永遠の待ちぼうけ

さぁ揺蕩うように雨流れ
僕らに嵐す花に溺れ
君が褪せないような思い出を
どうか、どうか、どうか
君が溢れないように

波待つ海岸 紅夕差す日
窓に反射して
八月のヴィスビー 潮騒
待ちぼうけ 海風一つで

ここでは「揺蕩(たゆた)う」「溺れる」
という不安定で定まらない気持ちを表現する用語が
用いられています。

基本的にはエルマの気持ちが宙ぶらりんの状態であ
ることを示唆しているようですが、エイミーに関し
ても同様の心情でいます。

自分の中に相手の音楽と生き方を取り入れたいと願
う反面、そうできない辛さを痛感しているようです。
二人が完全に溶け合うことを切望していますが、永
遠の待ちぼうけのように感じるほど実現しません。

「八月のヴィスビー」とは何でしょうか。
別名ヴィスビューはゴットランド島に位置するスウェーデン王国南東部の都市で
す。

歌詞にあるように海岸に面しておりエルマが潮風を感じたことと辻褄があいま
す。
「詩書きとコーヒー」でのエイミーの日本での生活とは対照的に彼女が海外で活
躍しエイミーに感化を受け一体となることを望んでいるようです。

しかしここでも「待ちぼうけ」という言葉が使われているので、やはり彼女の
彼と混ざり合うという願いは夢に終わってしまうようです。

黒にも白にもなれない人生

ずっとおかしいんだ
生き方一つ教えてほしいだけ
払えるものなんて僕にはもうないけど
何も答えられないなら言葉一つでもいいよ
わからないよ
本当にわかんないんだよ

MVではエルマがピアノを弾き側でエイミーが見ているという
シーンがありました。
エルマが黒い服を、エイミーが白い服を着ているわけです。
それぞれの音楽の性質と生き方を表現しています。

加えてMVの終盤にはピアノの鍵盤がわざわざ強調されていました。
これは黒鍵をエルマ、白鍵をエイミーとしているのだと筆者は解釈
しました(日向坂46ドレミソラシドの発想)

どれだけ二人が共存し合っても相手になることはできません。
真似をするだけで相手の音楽の大事な部分や生き方を取り入れるこ
とができないのです。

ここから二人がとことん異質のアーティストであり独立しているの
だと理解できます。

エルマは夢と現実の大きな差異に憂えたことでしょう。
途中「白」と「黒」以外のオレンジが映像に用いられたのは、二人
がそれぞれ別の何かになろうとした時期があったことを示唆してい
るのかもしれません。

しかし最終的には中途半端な「灰色」に落ち着いてしまいました。
白でも黒でもない分離した2色、、
そう雨の日に飲むカプチーノのように。。


まとめ

いかがだったでしょうか。
日本から海外へ舞台が移り、なおかつエルマとエイミーが
混ざり合う複雑な物語でしたね。

考察は多岐に渡り色々な説があります。
しかし今回、筆者は2色が表すものに重点を置きました。

感化を受け一体になりたいものの分かり合えない不条理さが
良く伝わっていたと思います。
アーティスト故の苦悩といった点も浮き彫りになっていたの
ではないでしょうか。

今後、雨の日にカプチーノを飲むたびにこの曲が流れそうで
す(なんて素敵な時間)

ヨルシカの今後の活動と次回作に期待し注目していきたいと
思います。

素敵な作品を有難うございました。