米津玄師『Lemon』深読み〜歌詞の意味と考察〜死者と生者の対称性〜

米津玄師Lemonジャケット

夢ならばどれほどよかったでしょう
未だにあなたのことを夢にみる
忘れた物を取りに帰るように
古びた思い出の埃を払う

戻らない幸せがあることを
最後にあなたが教えてくれた
言えずに隠してた昏い過去も
あなたがいなきゃ永遠に昏いまま

きっともうこれ以上 傷つくことなど
ありはしないとわかっている

あの日の悲しみさえ あの日の苦しみさえ
そのすべてを愛してた あなたとともに
胸に残り離れない 苦いレモンの匂い
雨が降り止むまでは帰れない
今でもあなたはわたしの光

暗闇であなたの背をなぞった
その輪郭を鮮明に覚えている
受け止めきれないものと出会うたび
溢れてやまないのは涙だけ

何をしていたの 何を見ていたの
わたしの知らない横顔で

どこかであなたが今 わたしと同じ様な
涙にくれ 淋しさの中にいるなら
わたしのことなどどうか 忘れてください
そんなことを心から願うほどに
今でもあなたはわたしの光

自分が思うより
恋をしていたあなたに
あれから思うように
息ができない
あんなに側にいたのに
まるで嘘みたい
とても忘れられない
それだけが確か

あの日の悲しみさえ あの日の苦しみさえ
そのすべてを愛してた あなたとともに
胸に残り離れない 苦いレモンの匂い
雨が降り止むまでは帰れない
切り分けた果実の片方の様に
今でもあなたはわたしの光

米津玄師『Lemon』読み解けない謎の魅力

米津玄師が創造する世界は、様々な意味やイメージが複雑に絡み合い、容易に読み解くことができません。

人は、理解できないものを避けようとします。しかし、謎に惹きつけられるという面も持っています。

米津玄師の作品の「わからなさ」には、人を惹きつける魅力があり、その魅力を強く放っているのが『Lemon』です。

『Lemon』の歌詞に対しては、すでに、多くの考察がなされていますが、ここでは、米津玄師の表現の奥底にある「魅力を放つ謎」について考察していきます。

『Lemon』を歌っているのは誰なのか?

米津玄師はインタビューで、曲の制作中に、おじいさまが亡くなったことを話しています。

その経緯もあり、身近な家族の死を制作中に経験した米津玄師の『Lemon』は、大切な人との別れに対する、ストレートな悲しみの歌になりました。

『Lemon』は恋人との別れの歌として、聞くこともできます。「死」という言葉は、どこにもありません。

しかし、『Lemon』の歌詞と全体の印象は、強く「死」を想わせます。
『Lemon』は、この世の生者が死者を想い、悲しみや嘆きを歌っているのだと、多くの人は感じます。

ところが、歌詞を聞いていくと、「わたしのことなどどうか 忘れてください」と、死者の言葉とも受け取れる表現が出てきます。

本サイトの別の記事では、前半と後半で「わたし」と「あなた」が入れ替わると考察されていました。

最初のサビは、生者が死者を悼んでいると、素直に解釈できます。

あの日の悲しみさえ あの日の苦しみさえ
そのすべてを愛してた あなたとともに
胸に残り離れない 苦いレモンの匂い
雨が降り止むまでは帰れない
今でもあなたはわたしの光

それが、2番目のサビでは、視点が変わり、死者が生者に労(いたわ)りの言葉をかけているように解釈できるのです。

この視点の違いの感覚は、どこから来ているのでしょう。

米津玄師『Lemon』歌詞の意味・解釈と考察

2018.04.21

すべてはひとりが歌う追悼の歌か?

どこかであなたが わたしと同じ様な
涙にくれ 淋しさの中にいるなら
わたしのことなどどうか 忘れてください
そんなことを心から願うほどに
今でもあなたはわたしの光

ここで、2番目のサビが死者ではなく、この世で生きている者の言葉だと解釈すると、そこから、米津玄師独自の世界観が、浮かび上がります。

死者とは交流できないという、世の常識ではなく、会うことはできないが、死者は別の世界に変わらずに存在している。

だから「わたし」は、その愛する死者に、私を忘れて次へ進んでくださいと、別れた恋人に対するように歌いかけるのです。

歌ってるのは死者ではないか?

『Lemon』は、すべてひとりが歌っていると考えたとき、もうひとつ別の解釈が浮かびます。

『Lemon』は死者の側から歌われている、この世の人間に対する、労(いたわ)りの歌なのではないかという解釈です。

そこには、MVで話題になった、米津玄師が履いているハイヒールの謎が関わってきます。

MVで踊る女性が死者である「あなた」だということは、容易に見て取れます。

ただ、ハイヒールを履いている米津玄師の姿は、死者を悼む場に相応しくない、異様な姿です。

女性と同じハイヒールは、何を意味しているのでしょうか。

それは、死者である「あなた」と「わたし」が、同じ者であるということの象徴です。

死者と生者の対称性が愛を証(あかし)する

別々の世界に存在する二人が、実は同じ者であることを表すのは、ハイヒールだけではありません。

女性が着ているグリーンのパーカーとブルーのスカート、米津玄師も同じ色味のグリーンのシャツとブルーのジャケットを身につけています。

「わたし」と「あなた」、「生者」と「死者」は、鏡に映る自分のように、切り分けたレモンのように、対称性を持っています。

胸に残り離れない 苦いレモンの匂い
雨が降り止むまでは帰れない
切り分けた果実の片方の様に
今でもあなたはわたしの光

愛で強く結びついた二人は、一心同体ともいえる存在です。

『Lemon』では生者と死者が、鏡で見る自分のように対称性を保ち、同じ時に同じ歌を歌っているのです。

謎の奥底にある死を乗り越える愛と希望

難解な語彙もなく、一見理解できる歌詞の『Lemon』ですが、どこか明解ではない「わからなさ」を、多くの人が感じています。

しかし、『Lemon』のその「わからなさ」、謎に満ちた昏い世界観は、人を惹きつけ、中毒性のある魅力を放っています。

その魅力的な謎を生み出しているのが、「あなた」死者である踊る女性=「わたし」歌う米津玄師、であるという複雑な視点の絡み合いです。

『Lemon』は、深い悲しみ、昏さ、儚(はかな)さ、諦(あきら)めで彩られています。

その中で、『Lemon』が多くの人に愛される曲になったのは、別々の世界に離ればなれになった二人が、愛によって、ひとつのものとして繋がっているという、希望や喜びが、曲の奥深くに込められているからだと思われます。

終わりに

昏い離れ離れの世界に、希望は、光として射し込みます。

「今でもあなたはわたしの光」

この言葉は、生者と死者の双方から、愛する者に対して投げかけられた、愛と希望の言葉です。

生と死、悲しみと希望、昏さと光。

相反するものを、複雑に絡み合わせて、愛と希望を表現した『Lemon』は、J-POP史に残るラブソングです。

4 件のコメント

  • ラブソングかなあ……そこが疑問です。恋人との死別の歌かなあ、違うと思います。その方が一般的にわかりやすいというだけで。
    別に恋人との別れだけはなく、家族や友人、自分の子供、尊敬する人など、その死を悼む相手は沢山いると思いますが。
    ラブというのを愛、普遍的な、相手が誰であれ当てはまる愛情として捉えればラブソングだというのも少しはわかりますが。
    相手は恋人、と限定するのはおかしいと感じました。

    • まるもちさん感想ご意見ありがとうございます。
      「Lemon」は当初数人のライターが考察しました。
      この記事の筆者の代筆としてコメントさせて頂きました。

      解釈が人によってさまざまであることをご理解頂いた上で
      これからも宜しくお願いします。

    • ここたまさんコメント有難うございます。

      これからもSugar&Salt Musicを宜しく
      お願いします!

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