米津玄師『Flamingo』深読み〜歌詞の意味と考察〜みっともない自分の死と再生〜

宵闇に 爪弾き 悲しみに雨曝し 花曇り
枯れた街 にべもなし 侘しげに鼻垂らし へらへらり

笑えないこのチンケな泥仕合 唐紅の髪飾り あらましき恋敵
触りたいベルベットのまなじりに 薄ら寒い笑みに

あなたフラミンゴ 鮮やかなフラミンゴ 踊るまま
ふらふら笑ってもう帰らない
寂しさと嫉妬ばっか残して
毎度あり 次はもっと大事にして

御目通り 有難し 闇雲に舞い上がり 上滑り
虚仮威し 口遊み 狼狽に軽はずみ 阿保晒し

愛おしいその声だけ聴いていたい 半端に稼いだ泡銭 タカリ出す昼鳶
下らないこのステージで光るのは あなただけでもいい

それはフラミンゴ 恐ろしやフラミンゴ はにかんだ
ふわふわ浮かんでもうさいなら
そりゃないね もっとちゃんと話そうぜ
畜生め 吐いた唾も飲まないで

氷雨に打たれて鼻垂らし あたしは右手にねこじゃらし
今日日この程度じゃ騙せない 間で彷徨う常しえに
地獄の閻魔に申し入り あの子を見受けておくんなまし
酔いどれ張り子の物語 やったれ死ぬまで猿芝居

あなたフラミンゴ 鮮やかなフラミンゴ 踊るまま
ふらふら笑ってもう帰らない
寂しさと嫉妬ばっか残して
毎度あり 次はもっと大事にして

宵闇に 爪弾き 花曇り
枯れた街 にべもなし へらへらり


米津玄師『Flamingo』人生の総括と再出発

「民謡ファンク」と本人自身が語る『Flamingo』は、沖縄の島唄や日本の伝統音楽を意識して作られた、風変わりなサウンドが印象に残るポップチューンです。

自由で遊びに充ちた『Flamingo』ですが、耳に残るサウンドに乗る歌詞の世界は、簡単に理解できるものではありません。

文語や古めかしい表現が選ばれているのもそうですが、「いつ誰が何を」という部分が語られないのが、わかりにくさの一番の理由です。

今回この考察では、『Flamingo』が米津玄師が自分自身の人生を総括した自伝であり、さらに、次の新たなステージに登ったことを宣言する曲であると読み解きます。

みっともない自分の過去を振り返る

『Flamingo』は、モテない男の恋愛ソングを偽装しながら、男女の恋愛を超えた深い想いを歌った、米津玄師の自伝です。

男女それぞれの視点から歌われているようにも聞こえる『Flamingo』ですが、ここでは、歌詞は全て、米津玄師の一人語りだとして解釈していきます。

宵闇に 爪弾き 悲しみに雨曝し 花曇り
枯れた街 にべもなし 侘しげに鼻垂らし へらへらり

「爪弾き」にされ、「雨曝し」になっているのは米津玄師です。

米津玄師は多くのインタビューで、人と異なる外見や、まわりの人たちの言動が理解できなかったことで、生きづらさを感じていたことを語っています。

「枯れた街」=「自分以外の人々」は冷たく、その世界では、米津玄師は鼻を垂らし「へらへらり」と、斜に構えて笑ってやり過ごすしかありませんでした。

笑えないこのチンケな泥仕合 唐紅の髪飾り あらましき恋敵
触りたいベルベットのまなじりに 薄ら寒い笑みに

ここでの「泥仕合」は、米津玄師と周りの人たちの見解の相違を表しているとみます。

しかし、それに続く部分は、「あらましき」荒々しく激しい「恋敵」、「まなじりに」「笑みに」触りたいと、恋愛に関して歌っているように聞こえます。

あなたフラミンゴ 鮮やかなフラミンゴ 踊るまま
ふらふら笑ってもう帰らない
寂しさと嫉妬ばっか残して
毎度あり 次はもっと大事にして

続く最初のサビも、その流れから「フラミンゴ」は「愛するあなた」であり、あなたは、寂しさと嫉妬ばかり残して「もう帰らない」と、うまくいかなかった恋愛を歌っているように解釈することもできます。

しかし、『Flamingo』の歌詞は、そう単純なものではありません。

この「フラミンゴ」は、過去の自分です。

自分は変わり過去の自分はもう帰らない。そして。つらい思いをしてきた過去の自分に「次はもっと」自分を「大事にして」と歌いかけます。


2018年の大きな転換点を振り返る

御目通り 有難し 闇雲に舞い上がり 上滑り
虚仮威し 口遊み 狼狽に軽はずみ 阿保晒し

愛おしいその声だけ聴いていたい 半端に稼いだ泡銭 タカリ出す昼鳶
下らないこのステージで光るのは あなただけでもいい

二番の歌詞は、わかりにくいように思えますが、ここで歌われているのは、2018年に米津玄師に起こった出来事です。

インタビューで米津玄師は、『Lemon』のリリース後に、ジブリの宮崎駿と鈴木敏夫、BUMP OF CHICKENなど、強く影響を受けた憧れの人に会うことができたことを語っています。

「御目通り 有難し」は憧れの人と会えたこと、しかし、うれしさのあまり「舞い上がり 上滑り」して、軽はずみな自分が阿呆を晒したと、実際の出来事を自虐的に歌っています。

続くBメロでは、「半端に稼いだ泡銭 タカリ出す昼鳶」と、ヒット曲を出して有名になり、大金を生み出すようになった自分と、その名声や金に引き寄せられてくる人々を揶揄しています。

それはフラミンゴ 恐ろしやフラミンゴ はにかんだ
ふわふわ浮かんでもうさいなら
そりゃないね もっとちゃんと話そうぜ
畜生め 吐いた唾も飲まないで

2番目のサビのフラミンゴは、「あなた」ではありません。

最初のフラミンゴは、米津玄師自身のことでしたが、ここでは何か違うものになっています。

「それ」は「恐ろし」いもので、「ふわふわ浮かんで」消えてしまいます。

もっと話したかったのに消えてしまったものに、米津玄師は「畜生め 吐いた唾も飲まないで」と毒づきますが、「吐いた唾」とは何なのか。

ここではそれを、表現された作品や言葉、創造されたものとみます。

自分から発したもの「吐いた唾」に、責任を取らずに消えた「フラミンゴ」とは何か。それは最後のサビで考察します。

みっともない自分の現在と決意宣言

氷雨に打たれて鼻垂らし あたしは右手にねこじゃらし
今日日この程度じゃ騙せない 間で彷徨う常しえに
地獄の閻魔に申し入り あの子を見受けておくんなまし
酔いどれ張り子の物語 やったれ死ぬまで猿芝居

鼻を垂らしている「あたし」米津玄師は、「ねこじゃらし」を手にしています。

「ねこじゃらし」は、子ども騙しのおもちゃで、自身の表現や作品を自嘲的に表しています。

「この程度じゃ」自分の表現程度では、世間は騙せず、「間」で常しえに彷徨うことになるのですが、「間」とは何と何の間なのか。

この世とあの世、天国と地獄、理想と現実など色々な解釈ができますが、ここでは、理想と現実の間で、どこにも自分の居場所が見つけられない、米津玄師自身の人生だとみます。

そして「見受けて」欲しいと地獄の閻魔に頼む「あの子」とは、かつて苦しんでいた過去の自分のことでしょう。

過去の自分「あの子」を死なせて、苦しみから救ってやって欲しいと願い、新たな自分「酔いどれ張り子」として再生し、「猿芝居」=表現者としての人生を続けよう。

ここで米津玄師は、人生の新たなステージに進む決意を宣言しています。


へんてこでみっともない人間を肯定する

あなたフラミンゴ 鮮やかなフラミンゴ 踊るまま
ふらふら笑ってもう帰らない
寂しさと嫉妬ばっか残して
毎度あり 次はもっと大事にして

自分自身を「へんてこなもの」「みっともないもの」という米津玄師は、生きづらさや悩みを抱えながらも、素晴らしい表現者として多くの作品を作りだしてきました。

それが、2018年になって、自身が目指していた多くの人に大きく広く届く曲『Lemon』を作りだし、憧れの人に会い、さらに、生きづらさの原因のひとつが、「マルファン症候群」によるものだったことがわかるなど、自分自身の中で何か一区切りついたと語っています。

過去の米津玄師はいったん終わって、新たに生まれ変わった米津玄師は、過去の苦しんでいた自分を振り返って愛(いと)おしみ、フラミンゴに頼みます。

「次はもっと大事にして」やって欲しい。

大事にしてやって欲しいのは過去の自分です。「次」は生まれ変わった後の世、来世でしょうか。

そして頼む相手「フラミンゴ」は、地獄の閻魔とは別だけれど、「ふわふわ浮かんで」消えてしまう、何か人間を超越したものです。

終わりに

Web Radioで米津玄師はこのように語っています。

「みっともない自分というものを今一度一個出した方がいいのかな」
「みっともない部分をちゃんと出せた方が自由に生きられる」
「弱い自分というかみっともない自分というものをちゃんと俺みたいな人間が肯定してやらないといけないのかな」

また、声を使った音ネタなど遊びの要素が詰め込まれた『Flamingo』を「ゲラゲラ笑いながら作った」とも語っています。

みっともない自分が、そのみっともなさをさらけ出して、さらに、そんな自分や生きづらさを感じている他の多くの人たちを、笑って肯定する。

『Flamingo』で米津玄師は、自分のように世間に馴染めない人間を肯定し、何か超越的な存在に「もっと大事にして」やって欲しいと願い出ます。

過去に区切りがつき、人生の新たなステージに進んだ米津玄師は、自分と自分の経験を自虐的自嘲的に表現しています。

しかし、死と再生ともいえる経験をしてたどり着いた表現の根底には、世界に居心地の悪さを感じ、生きづらさを味わっている人間への、労(いたわ)りと優しさがあります。

『Flamingo』は、笑いや自虐や自己韜晦の表層の奥で、恋愛を超えた大きく深い普遍的な愛を歌った、思いやりと希望の曲です。



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