ツユ『太陽になれるかな』歌詞の意味を考察・解釈

雨が降ると心が痛むほど共鳴するんだ
きっと神様も私と同じで
涙の向こう側のつよい私なら
太陽になれるかな

ただ追いかけて 明日へ向かうけど
狂おしいほど救われていたんだ
出来ない子でも悪くないなんて
君の言葉が歩幅を合わせた

この日々が終わりなく続くとか
甘い味ばかり期待したよ

雨の日も二人 一つの傘だけ
共に歩む道は閉じて

雨が降ると心が痛むほど共鳴するんだ
他の誰からも得られはしなくて
君の涙を見たい 見せて欲しいだけ
遠すぎるよ 響かないね

夢を見ている 永久に問いかけて
足を滑らせ 目が覚めていたんだ
出来ない子でしょ 悪さばかりして
君のステップが歩幅を狭めた

年老いて尚も仲睦まじく
居られること 普通じゃないのね

雷の音も二人で聴くから
怖くなかったのにどうして

雨が降ると心が痛むほど共鳴するんだ
残るプレゼント また思い出すよ
君のキスが欲しくて コーヒー味の
遠すぎるよ 靄がかり

大地だって揺れ動く
正義だって覆る
でも心だけは違うと信じていたんだ

全部 全部
捨て去ってしまえたら優等生だ
恋も何も要らないよ
解ってくれないのはどうして?

雨が降ると心が痛むほど共鳴するけど
沈む夜空には手が届かないよ
遥か彼方の先の淡い君なら
太陽になれるね

夜明け前の景色が露できらきら煌めいて
きっと神様が意地悪なせいだね
それでも向こう側のつよい私と
いつかきっと出会えるかな

太陽になれるかな

歌詞考察の前に

今回は人気音楽ユニットであるツユの楽曲『太陽になれるかな』を考察していきたいと思います。

筆者が今作から特に感じ取った点は以下の通りです。

・明るく強い人への憧れ

上記の点を続く楽曲紹介と共にお話したいと思います。

『太陽になれるかな』MVが2020年2月28日にネット上で公開されました。
動画再生回数は現在30万を超える人気ナンバーです。

同年2月19日にリリースされたアルバム『やっぱり雨は降るんだね』収録曲となっています。
同アルバムは完全個人製作&販売iTunes J-Popランキング4位を記録する人気を誇っています。

今作MVのイラストをおむたつさん、映像をAzyuNさんが担当されました。
感情表現の豊かな女性が巧みに描かれています。
またドラマのような映像が歌詞とメロディーにマッチし切なさに拍車をかけていきます。

今作のメロディーで注目したい点はピアノです。
ツユのメンバーであるぷすさんのツイッター(2月28日)ではmiroさんピアノ担当として加入したことを発表しています。

彼のツイッター内でソロ演奏を視聴することができるので是非チェックしてみよう(利き手につけている黒いリングもお洒落)

ぷすさん自身もツユの作品が彼の新規加入によってレベルアップしていくと述べていました。
確かに今回のピアノ旋律が作品に奥行きと広がりを与えていることを実感しました。

ピアノに注目したのですがギターも見逃せません。
エッジの効いたギターが存在することで、主人公の弱い部分だけではなく強い憧れを伝えているように感じました。
切ないだけの作品ではないことを理解できます。

歌詞全体を見てみると一人の主人公が「太陽のように明るく強い自分」に憧れを抱いています。
前述でも記載したように今回はその点をメインに考察していきたいと思います。

タイトル『太陽になれるかな』とは

タイトルは主人公が抱く「明るく強い人」を表現していると考えられます。
その憧れを抱くきっかけになった人物が歌詞の中では「君」で表現されています。

「君」は主人公の支えになってくれる強い人物です。
同時に感情移入もでき明るい性格であったことが歌詞から読み取れます。
まさに太陽のような存在だったと言えます。

前作「やっぱり雨は降るんだね」と比較すると面白いと思います。
同作品では順調でない状況や心境、また弱い自分を「雨」で例えられていました。

今作では主人公が弱さを受け入れつつも憧れに向かって成長していく様子がイメージできます。
タイトルはまさにそのような力強い願いを包含していると解釈しました。

『太陽になれるかな』歌詞の意味

涙の向こう側、目指して

雨が降ると心が痛むほど共鳴するんだ
きっと神様も私と同じで
涙の向こう側のつよい私なら
太陽になれるかな

今回は一人の女性を主人公にして考察を進めていきたいと思います。

歌詞冒頭で彼女は「雨が降ると心が痛むほど共鳴する」と述べています。
ここから推察するに彼女は思わしくない出来事から悲嘆したのでしょう。

「神様も私と同じ」とは誰も同情してくれないが、神様ならこの気持ちに同情してくれるはずだと考えたのでしょう。
そして彼女は悲嘆によって涙を流した後には、今より明るく強い自分になれるだろうかと自問しています。

君の背中、追う日々

ただ追いかけて 明日へ向かうけど
狂おしいほど救われていたんだ
出来ない子でも悪くないなんて
君の言葉が歩幅を合わせた

彼女には「君」という大切な男性がいました。
彼女は彼から言われた「出来ない子でも悪くない」というフレーズを懐かしむように回想しています。

ツユの作品の主人公は多くの場合、自尊心が少なく自分は駄目だと考えているように感じます。
今作も例外ではなく「自分は出来ない子」だと痛感していたことが読み取れます。

自分を卑下する日々に疲れた彼女にとって彼が投げかけてくれた言葉に、太陽のような心地よさを感じたことでしょう。

同時に「君の言葉が歩幅を合わせた」とあるように彼女は彼の感情移入と歩み寄りの精神に魅力を感じたに違いありません。

降るのは飴ではない

この日々が終わりなく続くとか
甘い味ばかり期待したよ

雨の日も二人 一つの傘だけ
共に歩む道は閉じて

ここでは前述で取り上げた彼女が悲嘆した理由が綴られています。

歌詞の文脈から彼女と彼は交際し決別したことが読み取れます。
彼女は彼と過ごす日々が永遠に続くことを心から期待していました。

続く詩的な表現ではさまざまな隠喩が存在していると筆者は感じました。

「雨の日も二人 一つの傘だけ」とは「相合傘」を指し、二人が親密だった時期を伝えています。

そして「共に歩む道は閉じて」とは「二人が共に歩み続ける未来はなかった」ことを伝えています。
前述の傘が「開いている状態」と道が「閉じている」ことを対比しています。

彼女はこの日の雨が、飴のような甘い日々をかき消すほど苦いものに感じたに違いありません。

不満と君の裏側

雨が降ると心が痛むほど共鳴するんだ
他の誰からも得られはしなくて
君の涙を見たい 見せて欲しいだけ
遠すぎるよ 響かないね

上記の決別以降、雨の日にはきまって彼女の心は痛み出します。
彼以外の人物で気持ちの穴を埋めようとしても不満を感じてしまうのです。

「君の涙を見たい」とはいつも強く見える彼の裏側、つまり見えていない部分を知りたいと思ったのでしょう。
決別後も自分と同じように悲しんでいてくれたら救われるという考えも伝わってきます。

しかし「遠すぎるよ 響かない」と述べている点から、彼と自分の心は共鳴しないと感じています。
彼は依然として明るさと強さを保っているように見えたからでしょう。

不動を信じてた

雨が降ると心が痛むほど共鳴するんだ
残るプレゼント また思い出すよ
君のキスが欲しくて コーヒー味の
遠すぎるよ 靄がかり

大地だって揺れ動く
正義だって覆る
でも心だけは違うと信じていたんだ

ここでも彼女が彼の回想を続けています。
決別後も手元に残されたプレゼントが彼との日々を彷彿させます。

続く「君のキスが欲しくて コーヒー味の」という部分はもとの歌詞から変更された部分です。
その経緯についてぷすさんのツイッターでは次のように説明されていました。

ツユの新曲の歌詞に『君のキスが欲しくて コーヒー味の』っていう部分あるじゃん?そこ最初ハッカの味って歌詞だったんだけど礼衣が『ハッカ味のキスとか微妙wwwまずそうww』とか言って勝手にコーヒー味に歌詞変えられました。 キスの才能が無くてすみませんでした。

https://twitter.com/Pusu_kun/status/1233372873177174016

(笑)

筆者個人としては「ハッカ」でも爽快感や清潔感が伝わってきて良いと思ったんですがねえ。。

でも実際のところハッカの匂いがする人を目の前にしていつも思うのが、、、

口臭エチケットを心がけてますよーってアピールにも思えるし実際ハッカがそこまで好きじゃないのとかも相まって何も噛まずによおーく歯を磨いて自然となんかミント以外のフルーティーな匂いがする人が理想っていう筆者の妄想(ここまで一息で朗読してみてね)

正気を取り戻して本論に戻ります。。

「コーヒー味」のキスはよく歌詞でもみかけますね。
多くの場合、甘い+ほろ苦い思いを伝える描写です。
彼女も彼とのキスにそのような思いを感じたのでしょう。

しかし今では遠い過去のことのように思え「靄(もや)」がかかったように鮮明に思い描くことができません。

続く部分では「大地」と「正義」が根幹から揺れ動くことに言及しています。
それとは異なり彼女は彼の「心」は不動であると信じていました。
しかし彼の心が今の自分を求めていないことに気づいてしまったのです。

優等生にはなれない

全部 全部
捨て去ってしまえたら優等生だ
恋も何も要らないよ
解ってくれないのはどうして?

ここで彼女は自分は何かに頼らなければ生きていけないと感じていることを理解できます。

皮肉を込めて悲しみや甘い日々など「全部 捨て去ってしまえたら優等生だ」と述べているからです。
「優等生」は頼る側ではなく頼られる側です。

彼女は自分を悩ます悲嘆も幸せだった記憶も両手に持って手放せずにいます。
そんな状況を逢えない彼に向かって理解して欲しいと願います。

まるで「あれだけ歩調を合わせて感情移入してくれたのにどうして」と心の叫びを伝えています。

しかしその叫びすら降り止まない雨音でかき消されてしまったかもしれません。

露から太陽へ

夜明け前の景色が露できらきら煌めいて
きっと神様が意地悪なせいだね
それでも向こう側のつよい私と
いつかきっと出会えるかな

太陽になれるかな

ラストの部分では辛い状況から彼女が教訓を学んだことを理解できます。

歌詞には「夜明け前の景色」「露」で煌いているとあります(ツユとかけたか)
「夜明け前」とは彼女が悲しみに暮れていた夜があける前を指しているのでしょう。

そう考えると続く「露」が煌いているとは悲しみの夜があける頃には良い思い出に変わっているということを暗示しているのでしょう。

そうした仕方でしか教訓を学ばせてくれない神様に対して「意地悪」だと彼女は不満げに述べているのだと解釈しました。

彼女は雨音を聞きながらいつかの憧れ、太陽のように明るく強い自分になれる日が来るのを待っています。。

まとめ

いかがでしょうか。
主人公の悲嘆な気持ちと憧れや将来への願いなどを歌詞から拾うことができました。

ツユの作品は自然の描写が多いため癒し効果というか心が洗われる気がします(体内の悪いものが浄化されるような 笑)

考察では扱えなかったのですが、雨、靄、露、太陽を水の循環を絡めて考察するのも面白いかと思いました(靄や露が発生する条件とかね)

歌詞、メロディー、歌声どれを取っても胸に残る素晴らしいものでした。
ツユの今後の活動と次回作に期待し注目していきたいと思います。

ここまで読んで頂きありがとうございました。

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