竹原ピストル『隠岐手紙』歌詞の意味・考察と解釈

『隠岐手紙』

雨音に微睡み 眠り

雨音に小突かれ目を覚ます

見送られてたまるかで置き手紙

“傘”盗んでくよ。

返して欲しくば、また会おう。

 

てめーでてめーを島へ流し

てめーでてめーを島から流す

高波に捩れる船旅が

二日酔いと追憶をかき混ぜる

 

死なないために歌った歌で

殺しちまったことがあるんだよ

 

まともなわけねーだろが

まともなわけねーだろが

誰かと間違ってねーか?

俺がまともなわけねーだろが

 

痛み 傷口を芸にすり換えて

日銭をつつくペテン稼業

とり憑かれてるならいざしらず

とり憑いてるってんだから救いがねえ

 

生乾きの空に翻る海鳥達の行方を

傘の先でなぞり歩く

そういや船が港に寄せる間際

女房を抱く夢をみた

 

俺の目が黒いうちは

どうぞ白い目で見守っていておくれ

 

まともなわけなーだろが

まともなわけなーだろが

誰かと間違ってねーか?

俺がまともなわけねーだろが

竹原ピストルさんの『隠岐手紙』。

2018年7月から放映されたTVアニメ「中間管理録トネガワ」のエンディングテーマです。

イントロ・曲中でかき鳴らされるギターリフが、吉田拓郎の名曲「落陽」をどことなく彷彿とさせる、シンプルでありながら心に残るロックナンバーです。

この竹原ピストル『隠岐手紙』の歌詞世界を、ゆりはるなが考察したみたいと思います。

唯一無二の竹原ピストルの歌詞、この記事にて皆さんが『隠岐手紙』深く楽しんでいただければと思います。

 


タイトル『『隠岐手紙』の意味・テーマ

竹原ピストルさんは、島根県隠岐諸島にて、何度もLIVEを行っています。

移動はとても大変で、船を乗り継いでいかなくてはいけない場所です。

隠岐手紙と置き手紙には、「オキテガミ」という韻が踏まれています。

竹原ピストルさんは、2003年に伝説的バンド「野狐禅」でのメジャーデビューを経て、2009年からはインディーズで単独で音楽活動を開始しました。

そして2014年、再度メジャーデビューを果たします。

インディーズ時時代、何年もかけて、全国各地の小さなライブハウスや飲食店など、1年に200本を超えるLIVE活動の続け、地道な活動の末に再度メジャーデビュー。

最近ではホールでのコンサートが中心となり、ほとんどがソールドアウト状態です。

インディーズ時代に本人曰く「どさ回りLIVE」を続け、現在メジャーミュージシャンとなり活動する竹原ピストルの心情が交差し、「オキテガミ」という言葉が、過去と現在、そして未来への存在を際立たせます。

 

歌詞の考察

約束したい、できない

雨音に微睡み 眠り

雨音に小突かれ目を覚ます

見送られてたまるかで置き手紙

“傘”盗んでくよ。

返して欲しくば、また会おう。

竹原ピストルさんはインディーズ時代に島根県の隠岐諸島、海土町で何度もLIVEを行っています。

ブログにも、海土町の様子、リハーサル、LIVEの様子がつづられます。

そこに写っている写真は曇り空と寒そうな空気、とても厚着の竹原さん、フェリーや小さな船。

フェリーと船を乗り継ぐ遠い旅路。

ここで出会った人々に、もう一度会えるのは、一体いつなのか。

約束のように、置き手紙(隠岐との韻が印象的です)と傘をパクっちゃう……。

無言の再開の約束。一方的な約束の証です。

 


己で己を島流し

てめーでてめーを島へ流し

てめーでてめーを島から流す

高波に捩れる船旅が

二日酔いと追憶をかき混ぜる

たった一人で続ける船旅の中、自分で自分を流刑に処しているようです。

自分で決めて自分でやってきたことにも係らず、後悔と共に追憶が襲います。

何年も、たった一人で弾き語りツアーを続けてきた竹原さんだけでなく、全ての人々が、働く場所で・移動中に・家庭の中で、自分自身の選択に心を痛めたり疲れてしまいます。

 

とまらぬ疑問とぎりぎりの自己肯定

死なないために歌った歌で

殺しちまったことがあるんだよ

まともなわけなーだろが

まともなわけなーだろが

誰かと間違ってねーか?

俺がまともなわけねーだろが

もしや何か売ってはいけない場所へ売ってはいけいないものを売りつけて、己を捧げ生きてた証と言えるものを取り戻せない場所まで来てしまったのでは?

もはや、自分はどこか何かおかしいのでは?

だが人は、そうは言わず。自分自身で煩悶するしかありません。

繰り返す疑問の中、それでも、まともなわけねーじゃだろうが、と心を晒します。

 


これしか知らないし出来ないからこそ

痛み 傷口を芸にすり換えて

日銭をつつくペテン稼業

とり憑かれてるならいざしらず

とり憑いてるってんだから救いがねえ

創造と破壊は、痛みや傷口からしか生まれ出ないけれど、ペテン師稼業だと、その行為自体を自虐してしまいます。

けれど、そうでなければ、決して歌は生まれず。

そうでなければ、わざわざ歌う意味もなく。

嘘もなく、そう生れ出てしまったからには、どうしようもないという心情が語られます。

 

放心状態の中の郷愁

生乾きの空に翻る海鳥達の行方を

傘の先でなぞり歩く

そういや船が港に寄せる間際

女房を抱く夢をみた

曇り空にはなぜか悲しみが付きまとい、遠く離れた自分の帰る場所を思います。

なにげなく他愛ない行為の中で郷愁が溢れ、船が港にたどり着くのを見ながら、離れていったのは自分であるのに、大切な人がここに来てくれれば、という一瞬の夢が頭をよぎるのです。

 


恐れない、がくがく震えるほど怖いけれど

俺の目が黒いうちは

どうぞ白い目で見守っていておくれ

まともなわけねーだろが

まともなわけねーだろが

誰かと間違ってねーか?

俺がまともなわけねーだろが

自虐と信念と嘲笑が語られます。

生きている時間を必死に歩く決意が表れます。

いつでも、本当の答えは自分の中にあるのです。

まともであろうがなかろうが、狂っていようがいまいが、誰かからどう見えようが見えまいが、勝手に考えて好きにしてくれ。けれども納得のいかないことには、絶対に「うん」とは言えません。

「はいはい」と考えなしには言えない。

まともではない、とは「簡単には頷けません」という生き様のありようのようです。

自分が自分であり続けるのに、目の黒いうち、生きている限りは、そうやって生きていくしかないのです。

がくがくと、恐怖で膝が震えるような場面であろうとも。

 


まとめ

心情、傷、郷愁、生きる時間の大切さを噛みしめるような、竹原ピストル『隠岐手紙』

竹原さんだけでなく、皆さんにも覚えのある感情なのではないでしょうか。

後悔や悔しさ、自分が自分の信念を自分で曲げてしまった時。

自分で自分を蝕みそうになった時、「まともなわけねーだろうが!」と叫んでは、自分を取り戻し続ける歌詞です。

内にたまったもどかしさと信念をを忘れないために、聴いてほしい楽曲です。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 



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