スピッツ『歌ウサギ』歌詞考察・異端者の純な輝きと背中合わせの破滅

こんな気持ちを抱えたまんまでも何故か僕たちは
ウサギみたいに弾んで
例外ばっかの道で不安げに固まった夜が
鮮やかに明けそうで

今歌うのさ ひどく無様だけど
輝いたのは 清々しい堕落 君と繋いだから

どんだけ修正加えてみても美談にはならない
恋に依存した迷い子
さんざん転んで色々壊してモノクロの部屋に
残されてた方法で

今歌うのさ フタが閉まらなくて
溢れそうだよ タマシイ色の水 君と海になる

「何かを探して何処かへ行こう」とか
そんなどうでもいい歌ではなく
君の耳たぶに触れた感動だけを歌い続ける

今歌うのさ ひどく無様だけど
輝いたのは 清々しい堕落 君と繋いだから

敬意とか勇気とか生きる意味とか
叫べるほど偉くもなく
さっき君がくれた言葉を食べて歌い続ける

こんな気持ちを抱えたまんまでも何故か僕たちは
ウサギみたいに弾んで
外ばっかの道で不安げに固まった夜が
鮮やかに明けそうで


はじめに

スピッツの『歌ウサギ』は2017年7月にリリースされたシングルであると同時に、広瀬すずさん主演映画『先生!、、、好きになってもいいですか?』の主題歌。

もともと『先生!、、、好きになってもいいですか?』河原和音先生による別冊マーガレット連載のマンガ『先生!』を原作としています。
なんと単行本は全20巻刊行されているヒット作!!

今回は、女子高校生と教師の切ない恋愛、友情、高校生時代という短くもきらきらとした時間を描く物語を優しい曲で包み込む、スピッツの『歌ウサギ』の歌詞を、ゆりはるなが、ゆっくりと噛みしめながら、考察していこうと思います。

タイトル『歌ウサギ』の意味とは

ウサギという動物、きっと皆さんもご覧になったことがあるでしょうね。
小さくて可愛くつぶらな瞳のウサギ。最近は室内でペットとしてかえる種もたくさんいます

実はこのウサギ……アングロサクソンの多産・豊穣の女神のシンボル、化身と言われています。

不思議の国のアリスやその他西洋の物語でもよく登場するウサギですが、人間と同じく決まった発情期がなく一年中繁殖が可能。

宗教的意味合いや性的なシンボルとしての歴史から、ウサギはキリスト教世界では異端のような扱いとされ、創作物語の中でも少しスキャンダラスでトリックスター的な存在とされることが多かったのです。

でも、それってウサギのせいではありませんよね。
他より少し違う個性や気持ちを持っていると、異端者扱いされることは多々あります。けれども、ウサギは何も悪いことはしていないのです。一生懸命生きているだけなのに。

そんな、素直に自分自身でいるだけで世間からはみ出し者にされたしまったウサギに、せめて大声で歌を歌わせてあげたい――そんな思いが『歌ウサギ』というタイトルから伝わってきます。


『歌ウサギ』歌詞の考察

正常と異常を分ける常識の檻

こんな気持ちを抱えたまんまでも何故か僕たちは
ウサギみたいに弾んで
例外ばっかの道で不安げに固まった夜が
鮮やかに明けそうで

美しいアコースティックギターのアルペジオから、静かに冒頭の歌詞が始まります。ずっと1つのコードで語るように歌われる言葉の中、既に「僕たち」が「ウサギ」=「異端者」になぞらえられていることが分かります。

今、夜の闇に、目の前には道が見えない状態です。それは不安で怖いこと。
しかし同時に、ウサギたちのように、沸き起こる喜びや感情が、弾まず飛ばずにはいられない。

抑えることが出来ない。抑えることが正しいと思えない。

どうすれば問題なく済ませられるのか、面倒なことなしに生きて行けるのかは重々分かっているのに、不安や恐れを伴うと知っても、これから明ける「僕たち」の朝はきっと美しいような気がしてなりません。


無様も堕落も誰の声?

今歌うのさ ひどく無様だけど
輝いたのは 清々しい堕落 君と繋いだから

ウサギたちが歌いたいことは、かっこよくなく、上手くできてないけれど、かけがえなのない、後悔のない輝き。

たとえが誰がなんとそれを呼ぼうとも。

あえて「無様」「堕落」といった自嘲的な表現が出てきますが、それは一体誰が誰に向けて言った、思ったことなのでしょうか。

例えば、映画『先生!、、、好きになってもいいですか?』の主人公、響は、高校の教師に恋をしてしまったことで、苦しく切ない気持ちを味わいます。
相手にされないに決まってる・やるだけ時間の無駄・向こう見ず……そして、純粋な気持ちで生きただけ・恋をしただけなのに、「異端」とされてしまう現実。

けれど後悔を恐れず、ウサギたちは歌い、気持ちを隠さず自分のままでいようとします。

誰にそれが間違いと決められたのか

どんだけ修正加えてみても美談にはならない
恋に依存した迷い子
さんざん転んで色々壊してモノクロの部屋に
残されてた方法で

美辞麗句を並べて自己弁護しようとしても、自分に正直なウサギには、それができない。

ここであらわされる恋は、夢や人生やそれぞれの個性に置き換えることもできます。

あらゆる物事に対して、ああだこうだと言い訳をすればするほど、自分自身が一番、嘘か本当かを知っているために、人は自分の偽善に苦しみます。

しかし、なぜ恋や夢を「美談」にしなければいけない必要があるのでしょうか。

やはりここでも、「僕たち」が一般的な目から見て褒められた行動をしていないことが示唆されています。
しかし、なんら悪事をはたらいたわけではない。

彼らはあらゆる他人から「異端」で「無様」で「堕落」している、噂される存在とみなされているのです。


異端者にだけ見える水で溢れた海

今歌うのさ フタが閉まらなくて
溢れそうだよ タマシイ色の水 君と海になる

海は、全ての生物の生まれた母なる場所。

「僕たち」には、溢れ出る純粋な気持ちが、とても大切で奇麗なものだと分かっています。

「異端」で「無様」で「堕落」していると、後ろ指をさされるようなものだとしても、純粋なまま、生まれた場所へと「僕たち」は帰りたいと願います。

どうでもいいものは当たり前のように消えていき

「何かを探して何処かへ行こう」とか
そんなどうでもいい歌ではなく
君の耳たぶに触れた感動だけを歌い続ける

「何か」「何処か」への痛烈な拒否。
そんなことはどうでもいいとまで言い切っています。

そんな歌を歌ったり聴いたりするのは、「僕たち」=「ウサギ」=「異端者」ではなく、「自分が正しいと思っている人々」なのかもしれません。

一般的には・常識的には・辞書にかいてあるから――そんなことが「僕たち」にだって大事なのは百も承知なのです。

しかしもう「僕たち」=「ウサギ」=「異端者」は、そんなものでは見えないものや触れられないものを知ってしまいました。
下手をすれば、『先生!、、、好きになってもいいですか?』で描かれるように、社会的に追い詰められてしまうかもしれないくらいの激しい感情や想いを知ってしまった。この気持ちはきっとそれを知ってしまったしまった人にしか分からないかもしれない。

その先にあるのは、苦しい選択と、苦い結末が待つ未来でしょうか。明るい輝きでしょうか。何の保証もないのです。
しかし他の人には絶対に見えない、触れられない輝きを手放すことが、良い人生なのでしょうか。


いつも自分が正しいと思って思い込んでいたら何かを間違ってしまうから

敬意とか勇気とか生きる意味とか
叫べるほど偉くもなく
さっき君がくれた言葉を食べて歌い続ける

散々に自己弁護を繰り返したのちに、偉そうな知った風な言葉がどんどん消えていきます。

それに代わって鮮やかに「君」の言葉が届きます。
それは賢い言葉ではなく、哲学的な言葉でもなく、ただ純粋な気持ちの塊なのかもしれません。

正しいとか間違いとかを超えた、本心を言い合い、受け取ることが、本当は一番難しいことなのです。

嘘のない感情そのままの言葉が持つ力が、「僕たち」=「ウサギ」=「異端者」に世間からの偏見と向き合っていく覚悟を与え、勇気を奮い立たせてくれます。

まだ現実は変わっていない、けれど…いつか

こんな気持ちを抱えたまんまでも何故か僕たちは
ウサギみたいに弾んで
外ばっかの道で不安げに固まった夜が
鮮やかに明けそうで

冒頭と同じ歌詞が、静かに繰り返されます。

結局、どうしても他人の偏見や一度ついてしまったレッテルから逃れるのは難しいのかもしれない。

しかし、不安の夜を過ごしながら、ウサギたちは純粋な輝きを信じ続けます。

まとめ

スピッツ『歌ウサギ』は、とてもストレートで爽やかでいながら、懐かしさや寂しさも含んだ切ない曲。聴きこむほどに、映画の内容や自分自身の思い出とリンクして、思わず何回リピート再生したことか!

このスピッツ『歌ウサギ』ですが、実は広瀬すずさん出演のスペシャルムービーが公開されております。
『先生!、、、好きになってもいいですか?』の主人公、高校生の響と、少しだけ大人になった響が、想い出と現在を行き来しながら『歌ウサギ』を口ずさみます。

『先生!、、、好きになってもいいですか?』と『歌ウサギ』の世界を新たに切り取って融合させた、郷愁にあふれた美しい映像です。ぜひこちらもご覧になってみてくださいね。

では、最後まで読んでくださってありがとうございました。

 

 

 

 

 



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