椎名林檎と宮本浩次『獣ゆく細道』歌詞の意味・解釈と考察

この世は無常 皆んな分かつてゐるのさ
誰もが移ろふ さう絶え間ない流れに
ただ右往左往してゐる

いつも通り お決まりの道に潜むでゐるあきのよる
着脹れして生き乍ら死んぢやあゐまいかとふと訝る

飼馴らしてゐるやうで飼殺してゐるんぢやあないか
自分自身の才能を あたまとからだ、丸で食い違ふ
人間たる前の単に率直な感度を頼つてゐたいと思ふ
さう本性は獣

丸腰の命をいま野放しに突走らうぜ
行く先はこと切れる場所 大自然としていざ行かう

そつと立ち入るはじめての道に震へてふゆを覚える
紛れたくて足並揃へて安心してゐた昨日に恥ぢ入る
気遣つてゐるやうで気遣わせてゐるんぢやあ 厭だ
自己犠牲の振りして 御為倒しか、とんだかまとゝ
謙遜する前の単に率直な態度を誇つてゐたいと思ふ
さう正体は獣

悴むだ命でこそ成遂げた結果が全て
孤独とは言ひ換へりやあ自由 黙つて遠くへ行かう

本物か贋物かなんて無意味 能書きはまう結構です
幸か不幸かさへも勝敗さへも当人だけに意味が有る

無けなしの命がひとつ だうせなら使ひ果たさうぜ
かなしみが覆ひ被さらうと抱きかゝへて行くまでさ

借りものゝ命がひとつ 厚かましく使ひ込むで返せ
さあ貪れ笑ひ飛ばすのさ誰も通れぬ程狭き道をゆけ


はじめに

椎名林檎さんが日本テレビの「news zero」のテーマソングとして書き下ろした楽曲が、『獣ゆく細道』です。

エレファントカシマシの宮本浩次さんと歌われる『獣ゆく細道』は、テレビ出演のたびにパフォーマンスが話題となりました。

野獣のように狂乱に動きまわる宮本浩次さんに対し、妖艶な狐のように、終始顔色を変えず美しく歌い上げる椎名林檎さん。

個性がぶつかり合うコラボレーションとなりました。

2018年の紅白歌合戦では、期待を裏切らないパフォーマンスでお茶の間を沸かせていましたね。

今回は、平成の終わりに、昭和の哀愁漂うような、それでいてミュージカル映画のような、素晴らしい世界観を表現している『獣ゆく細道』の歌詞を考察します。

『獣ゆく細道』歌詞の意味

「本性は獣」命がけで突き進む

この世は無常 皆んな分かつてゐるのさ
誰もが移ろふ さう絶え間ない流れに
ただ右往左往してゐる

「この世」は、私たちが今行きている時代のことでしょう。

それを「無常」、常、定まりがなく、「この世の人生ははかないもの」だと宮本浩次さんが歌うことから始まります。

人生ははかないものだと、そんなこと誰もがわかっているはずなのに、日常の忙しさや、流れに流され、生きる目的が分からず、あっちへ行ったりこっちへ行ったり、まごまごと日々を暮らしている。

冒頭の歌詞では、無精髭を生やした宮本浩次さんが歌っていることで、とても説得力を感じます。

生きる目的を探しているような抜け殻のように生きる人の人生を歌っているようです。

いつも通り お決まりの道に潜むでゐるあきのよる
着脹れして生き乍ら死んぢやあゐまいかとふと訝る

「訝る」とは不振に思うことです。

「いつも通り」変わらない、忙しくただ流れていく日々に、あまりにも何も感じることがなくて、死んでいるのではないかと自分自身を疑っています。

こんな日常でいいのか、と疑問に思うことや、人生について考えるのは、思春期の10代にも近いものがあります。

忙しく、がむしゃらに働く20代、30代が過ぎ、40代、50代の宮本浩次さんぐらいの年齢になると、またふとこのような感情を抱くことがあるのかもしれません。

人生の折り返し、今と変わらない死んだような生活でいいのか、悩み苦しみが感じらられます。

飼馴らしてゐるやうで飼殺してゐるんぢやあないか
自分自身の才能を あたまとからだ、丸で食い違ふ
人間たる前の単に率直な感度を頼つてゐたいと思ふ
さう本性は獣

一見難しい日本語で綴られているような歌詞が続きますが、歌いながら読んでみると読み解けます。

忙しさにかまけて、自分自身の才能を飼殺しているのではないか、頭で想像していることと、体で行動していることは、食い違っているではないか、と歌っています。

世間体を考え、理性に従い、規則正しく、真面目に生きていることが、死んでいるような日常ならば、生き生きとした人生を送るためにはどうすればいいのでしょうか。

何かを悟ったように、「本性は獣」と綴られています。

丸腰の命をいま野放しに突走らうぜ
行く先はこと切れる場所 大自然としていざ行かう

「本性は獣」と感じとったなら、この先の人生は自由です。

「丸腰の命」で、死んだように生きている自分はもうおしまい。

命を解き放して、野放しに突っ走ります。

「こと切れる」とは、息が絶えることです。

本能の感じるままに、周りなど気にせずに、羽ばたきます。

自分のやりたいことを、命がけで行うのです。

獣のように、本能のままに、何をしでかすか分からない、自由すぎて不安になるような歌詞で、野獣のイメージです。


率直な態度で行く『正体は獣』

そつと立ち入るはじめての道に震へてふゆを覚える
紛れたくて足並揃へて安心してゐた昨日に恥ぢ入る
気遣つてゐるやうで気遣わせてゐるんぢやあ 厭だ
自己犠牲の振りして 御為倒しか、とんだかまとゝ
謙遜する前の単に率直な態度を誇つてゐたいと思ふ
さう正体は獣

一方で、椎名林檎さんが歌うパートも、悩んでいるようです。

自分自身の感情は抑え、周りに合わせるように、上手に紛れるように足並みを揃えて生きている人の生き様を描いています。

周りを気遣っているようで、逆に気を遣わせているのではないか。

真面目で、優しい人の気持ちの内側を歌っているように、苦しみ悩んでいます。

そしてやはり、こんなことではいけない、自分自身の思いを伝え、凛とした姿でありたいと願うのです。

そう、「正体は獣」ではないか、と。

悴むだ命でこそ成遂げた結果が全て
孤独とは言ひ換へりやあ自由 黙つて遠くへ行かう

「悴む」とは、冷たい冷気にさらされ思うように動かなくなることです。

冷たく、痺れてしまったような命。

そんな命でさえも、結果が全て。

独りになっても構わない、むしろ、孤独とは自由ではないかと歌います。

独り凛とした姿で、強い自分に、感情を出せる自分になり、違うところへ向かうのです。

ここでも「獣」は、孤独の「孤」の漢字が「狐(キツネ)」に似ていることもあり、単独行動を好むキツネを連想させます。

全力で生きた魂をつなぐ

本物か贋物かなんて無意味 能書きはまう結構です
幸か不幸かさへも勝敗さへも当人だけに意味が有る

大サビでは獣になってどうなるのか、が表現されているようです。

本性を現したところで、本物か贋物か考えるのは無意味なことなのだと。

「能書き」は自分の優れた点を並べ立てた言葉のことです。

自分を良く見せるように、周りの評価ばかりを気にすることはもうしたくない、素直な自分を出して、自由に生きることで、幸せになるのか、不幸になるのか、勝つのか負けるのか、それは周りの評価ではなく、自分自身が感じることであると綴られています。

無けなしの命がひとつ だうせなら使ひ果たさうぜ
かなしみが覆ひ被さらうと抱きかゝへて行くまでさ

人生は1度きり、命は1つしかないのです。

誰のいいなりになる必要もなく、周りに合わせていく必要もありません。

自分自身のために、その命を使い果たそうではないか。

悲しみがあったとしても、それも自分が起こしたことなら、抱きかかえ、最期まで自分自身を貫き通そうと歌われます。

借りものゝ命がひとつ 厚かましく使ひ込むで返せ
さあ貪れ笑ひ飛ばすのさ誰も通れぬ程狭き道をゆけ

最後は「借りものの命がひとつ」と綴られています。

冒頭で歌われていた「この世」と通じるものを感じます。

「この世」を生きている、今ある命は、借りものなのでしょうか。

自分自身の命がなくなったあと、他の誰かがこの命を使うのでしょうか。

そのようなことを感じさせる歌詞です。

「この世」で命を使いきり、厚かましく使い込んだ命、そんな息を吹き込まれた命が次に使われるとしたら、その熱い命を借りることになった方が、情熱的に生きることができるような気がします。


まとめ

椎名林檎さんと宮本浩次さんの『獣ゆく細道』は、特設サイトにて歌詞が公開されています。

歌詞は、体力の面でも、精神的な面でも、日々流されているように生きていることに疑問を感じ、もっと自分の命を使おう、表現していこう、自由になろう、この世で命を使いきり、情熱を燃やし、来世へつなごう、という内容でした。

椎名林檎さん作詞の歌詞は、冒頭を除いて、綺麗に23行に収まるように綴られ、日本語の並びがとても美しく感じられるのです。

椎名林檎さんと宮本浩次さん、それぞれ個性が強く、違う印象を与えているのに、2人が手を組むと最強になるような、ぶつかりあっているように見えるのに、まとまりがあります。

目が離せないパフォーマンスの『獣ゆく細道』、今後も進化していくのでしょうか。