RADWIMPS『大丈夫』歌詞の意味を考察・解釈

時の進む力は あまりに強くて
足もつかぬ水底 必死に「今」を掻く

足掻けど未来は空っぽで いつも人生は
費用対効果散々で 採算度外視、毎日

僕はただ流れる空に横たわり 水の中
愚痴と気泡を吐いていた だけど

世界が君の小さな肩に 乗っているのが
僕にだけは見えて 泣き出しそうでいると

「大丈夫?」ってさぁ 君が気付いてさ 聞くから
「大丈夫だよ」って 僕は慌てて言うけど

なんでそんなことを 言うんだよ
崩れそうなのは 君なのに

安い夢に遊ばれ こんなとこに来た
この命の無目的さに 腹を立てるけど

君がいると 何も言えない 僕がいた
君がいれば 何でもやれる 僕がいた

世界が君の小さな肩に 乗っているのが
僕にだけは見えて かける言葉を探したよ

頼りないのは 重々知っているけど
僕の肩でよかったら 好きに使っていいから

なんて言うと 君はマセた
笑顔でこの頭を 撫でるんだ

取るに足らない 小さな僕の 有り余る今の 大きな夢は
君の「大丈夫」になりたい 「大丈夫」になりたい
君を大丈夫にしたいんじゃない 君にとっての 「大丈夫」になりたい

世界が君の小さな肩に 乗っているのが
僕にだけは見えて 泣き出しそうでいると

「大丈夫?」ってさぁ 君が気付いてさ 聞くから
「大丈夫だよ」って僕は 笑って言うんだよ

何が僕らに降りかかろうとも
きっと僕らは「大丈夫」だよと
僕は今日から君の「大丈夫」だから

歌詞考察の前に

『大丈夫』のMVが2019年11月4日にネット上で公開されました。
同年11月27日にリリースされる「天気の子 complete version」 に収録されています。
動画再生回数は公開から2日で70万を超える大人気ナンバーとなっています。

今年7月19日に上映された映画「天気の子」のために制作された楽曲の1つでありMV公開前から高い人気を得ていました。

同映画は夏休み映画ランキング3週連続1位を獲得し、公開18日間で興行収入60億円を突破しました。
映画を何度も観た人や、自宅で見返す人などその人気は未だ衰えていません。

今作『大丈夫』は映画においてもたいへん重要な位置と意味を占めています。
その点は映画の生みの親である新海誠監督のコメントからも理解できます。

「『大丈夫』という曲に、映画のラストシーンに込めたかったことがすべて入っていた」 (インタビューにて)

https://www.excite.co.jp/news/article/M_on_music_0000375721/ exciteニュースより

新海監督「僕はもう、帆高や陽菜の側じゃなく、彼らを見守る須賀というキャラクターと同じ大人の側です。それでも帆高や陽菜に寄り添いたい。激しすぎる、まぶしすぎる、痛すぎる若い感情を物語のエンジンにして、10代や20代の観客に『これは自分たちの映画だ』と思えるものを届けたい。世界はこんなになってしまった。でも、何の根拠も保証もないけど『大丈夫だ!』と若者には言ってほしい。僕もそれを聞きたい。そんな思いを込めました

https://www.asahi.com/articles/DA3S14105976.html%3Firef%3Dcom_footer 2019年7月21日付朝日新聞 より

上記コメントで注目したいのが「映画のラストシーンに込めたかったことがすべて「入っていた」という点です。
映画に関する裏話では、当初この楽曲は新海監督からダメだしされ、映画とのイメージに合致しないとのことだったようです。

しかし再度、同曲が話題にのぼり再検討されることになり、映画のラストシーンを汲み取っていると新海監督が判断し採用されたようです。
ですからコメントの「入っていた」というフレーズにはここまでの流れすべてが包含されているんだと筆者は感じました。

※このタイミングで申し上げておきたいのですが、本記事では映画内容にやんわりと触れて考察しています。
ネタバレを気にされる方はこの段階でご遠慮願います。

前述の2つ目の引用部分で新海監督が述べたコメントも重要な部分だと思い太文字にしました。

今作のタイトルについて語っているといっても過言ではないでしょう。
映画でもラストに向かうにつれて「大丈夫」とはとても言えない状況になります。
誰が見てもピンチ、それを通り越して絶望的な状況です。

それでも主人公たちが「大丈夫」と自分を奮い立たせる姿について言及しているのだと筆者は感じました。

タイトル『大丈夫』とは

見出しすぐ前に記載した内容と重なるのですが、今作は映画の登場人物たちのそれぞれの視点から述べた「大丈夫」だと筆者は解釈しました。

主人公である森嶋帆高(もりしげ ほだか)天野陽菜(あまの ひな) に向けて、 天野陽菜はその逆であるといった感じです。

また街全体が災害に見舞われた時にも、 天野陽菜の力を借りずに頑張っていく住人たちの「大丈夫」とも考えられます。
この部分は先ほどの新海監督のコメントともかなりリンクすると思います。

歌詞の所々で「大丈夫」が本心ではないこと、そのフレーズの陰に不安や焦りが潜んでいることを理解できます。

そんな点も含めて歌詞全体を見て行きたいと思います。

『大丈夫』歌詞の意味

逆らえぬ時に流されて

時の進む力は あまりに強くて
足もつかぬ水底 必死に「今」を掻く

本考察では映画の登場人物である「森嶋帆高(以下、帆高)」と「天野陽菜(以下、陽菜)」を主軸に進めていきたいと思います。

「時」とは「時間」のことであり誰もその力に逆らって生きることはできません。
帆高も陽菜もそれぞれ自分の境遇でその点を感じていたに違いありません。

「足もつかぬ水底」とはどういう意味なのでしょうか。
皆さんも海で足がつかないくらい深い場所まで進んで焦りや不安を感じた経験があるかもしれません。

そんな時、続く歌詞にあるように必死に水を「掻く」ことでしょう。
歌詞では海水の代わりに「今」を掻いています。
ここから帆高と陽菜が日々、もがきながら前に進もうとしていることを理解できます。

また物語の後半で「天候を操る能力」と「犠牲」についての情報が開示されてから、2人が「運命には逆らえない」と感じた点を「時の進む力は あまりに強く
て」で表現しているのかもしれません。

採算合わない赤字人生

足掻けど未来は空っぽで いつも人生は
費用対効果散々で 採算度外視、毎日

僕はただ流れる空に横たわり 水の中
愚痴と気泡を吐いていた だけど

ここでは「帆高の人生」について論じられているように思います。
彼は家出をし、自身が夢見た職につくわけでもなくただ漫然と日々を過ごしてきました。

「費用対効果」とは、導入や運用にかかるコストと、導入により得られる効果を金額ベースで比較したものです。
簡単に言えば「コスパが良いか」判断する材料となります。

帆高は自分の人生が努力に見合った成果を出していないと溜め息交じりに思っていたのでしょう。

歌詞の後半からも彼が流る雲のように、流されるように実質の伴わない生き方をしていることを描写しています。

「大丈夫」の裏側

世界が君の小さな肩に 乗っているのが
僕にだけは見えて 泣き出しそうでいると

「大丈夫?」ってさぁ 君が気付いてさ 聞くから
「大丈夫だよ」って 僕は慌てて言うけど

なんでそんなことを 言うんだよ
崩れそうなのは 君なのに

ここは映画の大切なシーンに関係するフレーズだと考えられます。
「僕」で表現されているのは「帆高」だと筆者は考えます。
「君」で表現される人物は「陽菜」と考えるのが妥当でしょう。

そうすると「陽菜」の肩に世界が乗っている、言い換えるならば世界の命運が彼女にかかっているという意味になります。

注目したいのはその点を理解しているのが「僕にだけ」つまり帆高だけという点です。
帆高以外にも彼女の能力について知っている人はいるはずです。

しかし帆高だけが彼女が能力を使うたび、自身が犠牲になるのを目の当たりにしています。

それは苦しいの一言では言い表せないほど帆高の心を痛めました。
それでも陽菜は意表を突くようなフレーズを彼に向けて放ちます。

「大丈夫?」

世界の命運を背負い、能力使用により自身の命が危険にさらされる状態で彼女は彼を気遣ったのです。
そうした気遣いが大丈夫?の裏側にあるのだと解釈しました。

映画の中でも、自身が消える前に残された人の身を案じている点からも彼女が利他的な思いを持っていることを理解できます。

対して帆高が言った「大丈夫」慌てて言ったものです。
その様子から彼女を安心させるため咄嗟に出た一言だと考えられます。
この点も彼の彼女を優先させたい気持ちが大丈夫の裏側にあるのだと解釈しました。

自分と君に向けた大丈夫

何が僕らに降りかかろうとも
きっと僕らは「大丈夫」だよと
僕は今日から君の「大丈夫」だから

映画後半では陽菜が能力を使用しなくなると街はもとの状態に戻り、雨が降り続く毎日になります。
それは災害レベルとなり多くの人たちに影響を与えていきました。

帆高が陽菜に向けて「天気の子にならなくていい」と叫ぶシーンがありました。
彼女が犠牲にならなくても自分達はなんとかやっていけると確信していたのでしょう。

街の住人たちもなんとか自分達の生活を懸命に送っていました。
上記の点を踏まえると大丈夫とここで言っている「僕らは」、1つに帆高と街の住人たちを指すと解釈しました。

2つめに、帆高が働いて陽菜を養うことを必死に伝えたシーンから帆高と陽菜の2人のことであるとも解釈できます。

歌詞の最後に「僕は今日から君の「大丈夫」だから」という興味深いフレーズがあります。

今までは陽菜が救世主として「世界の大丈夫」として行動してきました。
そして利他的な彼女は「帆高の大丈夫」としても振る舞ってきました。
救世主の立ち位置では誰かから救われる、支えになってもらうことはなかったのでしょう。

ですからそんな彼女に帆高が運命、能力、世界の現状すべてを忘れさせるほどに自分が守るという意志を込めて「君の大丈夫」になると述べたと筆者は解釈しました。。

まとめ

いかがだったでしょうか。
映画の感動的なシーン、そして核心に迫る点が随所に散りばめられた歌詞でしたね。

筆者も考察しながらたった3文字にこれほど多くの心情や背景があったのかと驚かされました。
何も考えずに映画を楽しむ良さもあります。
それでも主題歌の歌詞と照らし合わせながら鑑賞するのも良いと思います。

MVの大自然もさまざまな意味合いを感じました。
生活に必要なものがほとんどなくても人は生きて行ける、「大丈夫」という点が筆者には伝わってきました。

また自然は本来、人を悩ますことなくむしろ人が生きるために、「大丈夫」なようにするシステムなのだという点も伝えているのだと考えました。

RADWIMPSの次回作と今後の活動に期待し注目していきたいと思います。
また映画「天気の子」がこれからも多くの人たちに親しまれていくことを願っています。

素敵な作品をありがとうございました。

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