RADWIMPS『世界の果て』歌詞の意味を考察・解釈

明日もしもこの世界が終わんなら
それは地獄なのかワンダーランド
誰一人も分からんなら
考える価値もないのか

さてさて 最後の晩餐は何にしようとか
呑気に言ってられないよな
気が触れずに笑えんのか
正直自信はないよな

それなら僕は行くよ
君の元へ行くよ
せめて僕の腕の中には君の 顔をうずめて

襲いかかるその終わりの
君の視界を覆い
ワンダーランドまでの 短い一秒だけ「さよなら」を

時が経つに連れて徐々に水底に
ゆっくりと沈んでいくかの
ように君の顔もおぼろげに
なっていってしまうのはなぜ

乗り違えたようで降りる駅を間違えたそんな僕らが
ワンダーランドで出逢うには
どの便に乗ればいいんだろう
どこで降りればいいんだろう

この世界の淵から
一、二の三で飛ぶから
「今だ」と叫んでよ 腕を振ってよ 力の限り

海風にかき消されない
波に飲み込まれない
一筋のあなたの 声を命の糸に結ぶよ

君の元へいくよ 必ずや向かうよ
君の姿形 色とか匂いのすべてなくとも

心配せずいてよ この世界で君を
見つけたのと同じようにたやすく たどり着くから

歌詞考察の前に

今回は人気ロックバンドであるRADWIMPSの楽曲『世界の果て』を考察していきたいと思います。

今作のコンセプトは動画説明欄に次のように説明されていました。

あれから9年、今年も曲を作りました。期せずして2020年3月11日現在、世の中はウィルスという社会的危機の中にあります。情報が氾濫し、歪んだ感情も溢れているように感じます。人々の姿こそウィルスよりも脅威に感じる瞬間があります。何かのキッカケで一気に崩れ落ちていってしまうのではないか、そんな緊迫感があります。それでも、それだからこそ今年も変わらずあの3月11日に想いを巡らせ、そこに『今』の空気を混ぜて一つの曲にしたいと思いました。なるべく素直に、思いのままに作った結果今年はこのような曲になりました。絶望感がありながら、どこかそれは懐かしく優しいものに自分は感じたのです。色んな声があると思いますが、受け取ってもらえたら幸いです。 年々薄れていく記憶。それでも癒えることのない傷。新たに生まれる災害。すべての痛みに向き合っていたら到底心が追いつかない時代に僕たちは生きているのかもしれません。日々の小さな幸せに、眼を向けることを忘れずに生きたいです。 今年も録音は菅井さん、映像は島田さんにお願いしました。ありがとう。 来年は震災から丸10年。一つの節目となります。この国で10年間歳を重ねてきた僕たち自身への一つの投げかけにもなる年だと思います。 「あれから、僕たちはどう生きたか」 そんな問いに、まっすぐ眼を見てこたえられるように、生きようと思います。 9年前の東日本大震災で亡くなったすべての命に、今も被災し続けるすべての方々に、合掌。

洋次郎

https://www.youtube.com/watch?v=BhJru1zBN00

コメントからも理解できるように今作は2011年(平成23年)3月11日に発生した「東日本大震災」を念頭において歌詞が綴られています。

そして多くの人に被害をもたらした出来事を鮮明に思い描きながら「小さな幸せ」に焦点を合わせていくことの大切さも歌詞に含められています。

メディアでは復興や震災の脅威について取り上げられることがほとんどなくなっているのが現状です。
仕方ない部分もありますが悲痛な記憶や危機感は時間と共に風化してしまうものです。

今作を聞いて忘れかけていた大切なものを思い出し日々の教訓にしていきたいと思います。

今作の曲調とMVの内容にも注目してみましょう。

野田 洋次郎さんの囁く様な歌声から始まり終始暗いメロディーラインが流れていきます。
震災が与えた苦しみや悲しみの重さを忠実に表現しているように感じました。

MVでは何気ない日常風景が切り取られて映像化されていました。
しかし同じ風景が水面に映っているように見せるシーンは「日常」が津波によって奪い去られたことを描写していると解釈しました。

穴だらけの遊具が被害にあった人の埋まらない心を、下を向いた花が人々の悲痛を表現し当時や現在の心情を伝えているように見受けられました。

しかし歌詞には希望や将来の展望も綴られています。
前述のコメントにもあったように「小さな幸せ」を大事にしているフレーズが随所に見られます。

さらに今作の演奏時間や投稿日時などには震災を意識させる要素が隠されています。

3分11秒は「東日本大震災」の起きた3月11日とリンクする

オフィシャルサイトにて14時46分に告知がなされ震災発生時間とリンクする

MV内での31回の暗転が「3.11」を連想させ曲が突然終わることによって当たり前の日常や幸せは突如として終わりを迎えることを意識させている

3つ目に関しては想像の範囲でしかありませんが、不穏や恐怖を感じたのでそのような考察になりました。

それではさっそく気になるタイトルや歌詞全体の考察を始めていきましょう。

タイトル『世界の果て』とは

タイトルに含まれる「果て」には「終わり、最後」などの意味があります。
つまりタイトルは「世界の終わりまたは最後」となります。
歌詞にもその点が示されていますね。

東日本大震災が発生した当時の記憶を回想してみました。
どの映像にも家や車が流される場面が映し出されます。
警告と注意の嵐、危険を叫ぶ声、混乱する人々と情報機関などまさに「世界の終わり」を感じたのを覚えています。

筆者は被害を受けなかったのですが友人が亡くなりました。
思い出せば胸は張り裂けそうになり今でも完全に悲しみの雲は晴れていません。

歌詞は将来も念頭においています。
現在でもコロナウイルスが猛威をふるっているのが現状です。
そうした世界の終わりを感じさせるほどの出来事に直面したとき「自分たちは何ができるだろう」と問いかけられているようにも受け取りました。

タイトルはそうした点すべてを包含しているのだと解釈しました。

『世界の果て』歌詞の意味

終わりを前にして

明日もしもこの世界が終わんなら
それは地獄なのかワンダーランド
誰一人も分からんなら
考える価値もないのか

さてさて 最後の晩餐は何にしようとか
呑気に言ってられないよな
気が触れずに笑えんのか
正直自信はないよな

歌詞冒頭では世界の終わりと人の死後に言及しています。

「ワンダーランド」を主軸にその語のフレーズが韻形式に続いています。
ここでは「地獄」と対比されていますから「ワンダーランド」を「天国」と解釈することが出来るでしょう。

歌詞は世界が終わって自分が死ぬとき天国に行くのか地獄に行くのか誰一人分からないと述べています。

そして「考える価値もないのか」と述べています。
これは考えない人たちが増えていることや将来から目を背ける人を意識したフレーズだと思われます。

続く部分では実際に世界の終わりが来たときには呑気に構えたり笑い話として受け取れないという事実に注目させています。

真面目に受け止める自信がなかったとしても「今」からそうなったときのことを真剣に考えるべきとのメッセージを歌詞から感じ取りました。

大切な人の為に

それなら僕は行くよ
君の元へ行くよ
せめて僕の腕の中には君の 顔をうずめて

この部分の歌詞では世界が終わるときにある人が取る行動が綴られています。
「僕」で表現される人は「君」の元へ駆け寄ります。
彼は君に腕の中に顔をうずめて欲しいと願います。

「顔をうずめる」という動作は誰かに「甘える」ときなどに取る動作です。
君は目の前の恐怖を見ないで済んだことでしょう。

このようにある人は大切な人の心の拠り所、安心感を与える存在になりたいと考えるようです。

流されていく人と記憶

襲いかかるその終わりの
君の視界を覆い
ワンダーランドまでの 短い一秒だけ「さよなら」を

時が経つに連れて徐々に水底に
ゆっくりと沈んでいくかの
ように君の顔もおぼろげに
なっていってしまうのはなぜ

ここの歌詞では先ほど大切な人として登場した「君」が津波によって流されてしまっているように思えます。

「水底」津波に沈んだ家屋や人を連想させます。
それと同様に亡くなった人や震災の記憶も時間経過と共に曖昧になってしまいます。

それでも歌詞では積極的な見方が綴られています。

ワンダーランドまでの 短い一秒だけ「さよなら」を

前述で天国とした場所まで大切な人が行くまでのほんの短い間の別れに言及しているのだと解釈しました。
そのように考える人がいることを歌詞は示していると思います。

前向きな考えを念頭に置きながら現在の悲しみを忍耐する姿勢が伝わってきます。
同時に今を共に生きる身近な人の存在に幸せと感謝を感じるかもしれません。

生き別れ―再会を願う

乗り違えたようで降りる駅を間違えたそんな僕らが
ワンダーランドで出逢うには
どの便に乗ればいいんだろう
どこで降りればいいんだろう

この世界の淵から
一、二の三で飛ぶから
「今だ」と叫んでよ 腕を振ってよ 力の限り

MVでも駅の描写がありましたね。
歌詞では人の「生き別れ」を「電車の乗り違え」に例えているようです。

僕で表現されている人は君がいる天国へ向かうために手段を模索しているようです。
あれこれと真剣に自問している姿が「なんとしてでももう一度逢いたい」と言う願いの強さと直結しています。

「世界の淵から飛ぶ」とは自分も死ぬこと、そして「今だ」と合図をして人生を終えるタイミングを教えて欲しいと君に頼んでいる場面だと解釈しました。

君に「腕を力の限り」振るよう頼んでいるのは、自分が逢おうと懸命に努力しているのと同じようにして欲しいと願っているからでしょう。
双方が思い合うなら願いは実現するという考えに基づいたものだと理解しました。

生涯、忘れない

海風にかき消されない
波に飲み込まれない
一筋のあなたの 声を命の糸に結ぶよ

君の元へいくよ 必ずや向かうよ
君の姿形 色とか匂いのすべてなくとも

心配せずいてよ この世界で君を
見つけたのと同じようにたやすく たどり着くから

ここの部分では大切な人の記憶を生涯忘れないへの決意がなされています。

「一筋のあなたの声」とは大切な人との「会話」でしょう。
「命の糸」とは「人生」を示唆していると考えました。

野田 洋次郎さん の中で「糸」は命と密接な関係があるようです。
震災が起きた当時も特設サイト「糸色―いとしき」を立ち上げています。

数多くのメッセージや義援金が集められ多くの人たちを励まし勇気づけました。
彼の利他的な精神や大切な人に寄り添いたいという気持ちを実感しました。

歌詞のラストでは「君の姿形 色とか匂いのすべてなくとも」と亡くなった人の面影が完全になくなったとしても再会することを胸に誓っています。

今作が悲嘆するすべての人たちへの慰めや安らぎになることを筆者も心から願っています。。

まとめ

いかがだったでしょうか。
歌詞やMVを見返せば見返すほど当時の状況が思い出されます。
中には完全に忘れ去りたいと考える人もおられるでしょう。
その気持ちは自然であり正直なものです。

今作は失ったものに言及する箇所が多かったと思います。
その分だけ得ているものを認識し感謝を深める機会になったと筆者は感じました。

最後に記載しようか迷ったのですが胸につかえていることをお話して終わりたいと思います。

今作を「ゴミ」呼ばわりする人を見かけました。
低評価することに関して批判するつもりはありません。
しかしすべての人は言葉の重みや影響力を理解するよう努めるべきだと筆者は感じています。

昨今でも「ゴミ」や「クズ」また「カス」などという汚い言葉を多様する人たちがいます。

そうした言葉を吐いて誰かを傷つける代わりに、まだ復興が済んでいない地域や自分の住む地域の「ゴミ」や「クズ」を1つでも拾う優しさを持ちたいと思います。

筆者の個人的なぼやきとして受け止めて頂けるなら幸いです。
考察から脱線してしまい申し訳ありませんでした。

素晴らしい作品を生み出したRADWIMPSの今後の活動と次回作に期待し注目していきたいと思います。

ありがとうございました。

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