Mrs. GREEN APPLE『アボイドノート』歌詞の意味を考察・解釈

さぁ どうぞお座りになって
1つ2つ伺いたいだけです
心配なさらずにリラックスして
温かいものでもどうですか

愛を信じますか?
協和を願いますか?
どうでもいいんですか
じゃあ、気にしてるフリですか?

聞こえる
足を小刻む音

果てない森を駈ける風の様に
君は人を恨む
果てない海を泳ぐ魚の様に
僕らは笑える

もういいや お帰りになって
呆れてものが言えないだけです
「もう一度チャンスをください」って
どうしても言えないものですか?

何かを失くしたって
気づかぬ程ですか?
どうでもいいんですか
あぁ、気にしない側ですね

聞こえる
心を落とす音

果てない空を駆ける鳥の様に
君は外を羨む
果てない大地に育つマグマの様に
鼓動は熱を帯びる

吹かない風 靡かない樹々
泳げない僕 泳がない僕
広すぎる空を待て余すほら
悪者はどこにも居ないだろう

果てない道が続く旅路の様に
僕らは生きてる

張り詰めた呼吸を経て万歳
1、2の3でまたバイバイ
ところでさ 君という存在
誰も敵いはしない美の潜在

憎まれて削り合い喝采
4の5の6でまたバイバイ
まだまださ 我ら人の存在
誰も敵いはしない

Mrs. GREEN APPLE『アボイドノート』の概要

今回は人気バンドであるMrs. GREEN APPLE(以下 ミセスと表記)の楽曲『アボイドノート』の歌詞考察をしていきたいと思います。

筆者が今作から特に感じ取った点は以下の通りです。

・人間の消極的な行動と思い

・短所は長所に変えられる

そのように感じ取った理由を続く楽曲紹介と共にお話したいと思います。

『アボイドノート』のMVが2020年5月27日にネット上で公開されました。
公開初日から20万を超える動画再生回数を記録しています。

2020年7月8日リリース Mrs. GREEN APPLE フェーズ1の集大成ベストアルバム 『5』収録曲です。

MVは、ダイナミックなバンド演奏とさまざまな遊戯を楽しむメンバーの姿が納められています。
ミセスらしい快活さと爽快感漂う内容に仕上がっていました。

歌詞の随所には、人を恨みまた羨んだりする消極的な思いへの皮肉と、前向きな考えが投げかけられています。

思いや行動の調整1つで、幾らでも自分を向上させることができるという訴えも観察できました。

こうした理由から今作『アボイドノート』の歌詞では「人間の消極的な行動と思い」また「短所は長所に変えられる」ことが伝えられていると感じ取りました。

それではさっそく気になるタイトルや歌詞全体の考察を初めていきましょう。

『アボイドノート』の意味とは

タイトルの『アボイドノート』とは、アベイラブル・ノート・スケール上でそのコードの機能を邪魔してしまう音を指しています。

回避音とも表記されるこの音は、以下の特色を持っています。

半音で音がぶつかり合う(メインの音が失われるような印象)

・トライトーンを発生させる(ドミナント和音の不安定な響き)

これらの特色は、人が持つ消極的な思いや行動と類似しています。
消極的な考えは、自分や他者とぶつかり合う原因となり本来の自分を見失います。
また消極的な思いと行動には自信が伴わないので不安定です。

しかし『アボイドノート』は使い方によって、音楽に奥深さや情緒すら加える役割を果たします。

同様に、人が抱く消極的な思いと行動つまり短所を、調整1つで魅力的な要素つまり「長所」に変えることができると考えました。

タイトル『アボイドノート』は、自分を見つめ直す大切さと人が持つ可能性を感じさせる知的な表現と言えます。

『アボイドノート』歌詞の意味

意地っ張りへのシニカルな問いかけ

さぁ どうぞお座りになって
1つ2つ伺いたいだけです
心配なさらずにリラックスして
温かいものでもどうですか

愛を信じますか?
協和を願いますか?
どうでもいいんですか
じゃあ、気にしてるフリですか?

歌詞冒頭では、ミセスから消極的な思いを抱く人へシニカルな問いかけがされています。

「愛」を信じ「協和」を願うかという問いかけです。
続く部分では「どうでもいいんですか」と述べられています。
ミセスに問いかけられている人は「愛」や「協和」に無関心のように見えたのでしょう。

しかしミセスは「気にしてるフリですか?」と問いかけを続けています。
無関心のように見えて実は気になっている点を指摘しているように感じました。

問いかけられた人は「意地っ張り」という消極的な思いを持っているのでしょう。
本当は誰かを愛し協和を望んでいるのですが、うまく自分の気持ちを表現したり行動にうつせないのだと思われます。

「大きく」「たくさん」行動できない

聞こえる
足を小刻む音

ここに出てくる「足」とは、先ほどミセスに問いかけられていた人の「行動」を指すと考えました。

「小刻む」とは小さく刻む、また徐々に進んで行くことを意味します。
ここから消極的な思いを持つ人の行動が「小さくまた少しずつ」という性質を持っていることがうかがえます。

みんなに注目されるような偉大なことはできませんし、あれこれ同時に効率良く物事を行うこともできません。

そんな歩みで日々を一生懸命生きているのです。

笑顔につながる考え方

果てない森を駈ける風の様に
君は人を恨む
果てない海を泳ぐ魚の様に
僕らは笑える

ここでは「果てない森を駈ける風」「果てない海を泳ぐ魚」という2つの例証が使われています。

「果てない森を駈ける風」冷たい印象を持ちました。
「君」で表現されるのは、先ほどミセスから問いかけられた人だと解釈しました。
君は風と同じように周囲の人たちを恨み、冷たく接したのかもしれません。

「果てない海を泳ぐ魚」は、潤ったまた生き生きとした状態をイメージしました。

ミセスは人を恨むくらいの力強さがあるなら、心を潤って生き生きとした状態に保ち笑顔でいることに力を使おうと励ましていると解釈しました。
まさに短所を長所に変える考え方です。

いつでも笑顔につながる考え方をしようと促されました。

傲慢さと謙遜さ

もういいや お帰りになって
呆れてものが言えないだけです
「もう一度チャンスをください」って
どうしても言えないものですか?

何かを失くしたって
気づかぬ程ですか?
どうでもいいんですか
あぁ、気にしない側ですね

ここではミセスが先ほどの君に呆れているのを理解できます。
その理由は「もう一度チャンスをください」と言えないことにあるようです。

誰かにそうした台詞を言うには「謙遜さ」が求められます。
謙遜さには「誰かを自分より上に見る」という性質があります。
反対に「傲慢さ」を抱く人は「誰かを自分より下に見る」性質があります。

誰かにアドバイスを求めることも、自分の誤りを認めてやり直すことも嫌うのです。
そうした態度を示し続けるうちに、自分を向上させるチャンスや周囲の人たちを失っていくことに気がつかない場合があります。

初めのうちは失っていくことに気づいていたのかもしれません。
しかし、次第に失うことに慣れたもしくは容認していった結果「気にしない側」になってしまったと解釈しました。

誰もが一度は落とすもの

聞こえる
心を落とす音

前述では「足」に触れられていましたが、ここでは「心」に言及しています。

心とは人の「思い」であり、それを「落とす」とは「気落ち」また「自尊心を無くす」ことを暗示していると解釈しました。

さきほどから登場している君は、消極的な考えを抱き続け、多くのものを失った結果として気落ちしたり自尊心を無くしたのでしょう。

誰もが一度は経験したことあるのではないでしょうか。

人が持つ魅力―短所を長所に変えて

果てない空を駆ける鳥の様に
君は外を羨む
果てない大地に育つマグマの様に
鼓動は熱を帯びる

吹かない風 靡かない樹々
泳げない僕 泳がない僕
広すぎる空を待て余すほら
悪者はどこにも居ないだろう

果てない道が続く旅路の様に
僕らは生きてる

ここでも例証が使われています。

「果てない空を駆ける鳥の様に」という表現に注目できます。
鳥になりたいわけではないようです。
ここで鳥は両翼を広げた自分より、空が広大であることを羨んでいるように
感じました。

その鳥と同様に、君も「外」つまり世界が自分より広く大きな存在であることを羨んでいると解釈しました。
ここでの「羨む」という感情もどちらかと言えば消極的な思いから発生します。

ここでもミセスは「果てない大地に育つマグマの様に 鼓動は熱を帯びる」というフレーズを使い君を励ましています。

羨むという熱い感情があるなら、自分を熱く奮い立たせる何かに有用できるはずだと訴えていると感じました。

「吹かない風 靡かない樹々 泳げない僕 泳がない僕」という表現は、人はみんな消極的な思いや行動をしてしまうことを伝えているようです。

「広すぎる空を待て余す」かのように、ベストを尽くせなかったりします。
でもベストを尽くせないのは誰のせいでもありません。

「悪者はどこにも居ないだろう」というフレーズがその点を裏付けています。
消極的な思いを持つ人も、その感情と毎日戦っているのです。
誰かに冷たく接することがあっても、反省し次回に活かそうとしてます。

自分の消極的な思いや行動が、環境の変化や意識の持ちようによる調整で良い方向に変わっていくかもしれません。

自分の中に「アボイドノート」を見つけたとしても、自分を悪者にしないよう励まされました。
諦めずに思いや行動を調整し、笑顔につながる考え方をしていきたいと思います。

そうすればいつの日か、回避音と周囲から言われていた音も馴染んで、人生に奥深さを与えていくことでしょう。。

まとめ

いかがでしょうか。
日常では聴きなれないタイトルでしたが、その性質を思いや行動に照らし合わせると身近に感じました。

あくまでも筆者の考え方の1つとして受け取って頂ければ幸いです。

一見辛口なミセスと思えるフレーズですが、これまでの作品を通じて共存や共感を願う精神が背後にあると感じました。

筆者も小さなことに多くの時間をかけてつまずくことがあります(たまに)
そんな時は今作『アボイドノート』を聴いて自身への教訓にしたいです。

ミセスの今後の活動と次回作に期待し注目していきたいと思います。
前向きで考え深い作品をありがとうございました。

ここまで記事を読んでくださった皆さんにも感謝します。
ありがとうございました。

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