みきと『世田谷ナイトサファリ』歌詞の意味・考察と解釈~世田谷を舞台に巻き起きる暗い出来事とは~

ガジュマルの木に登り 井の頭線パトロール
ひらひらな蝶々の群れに 見つけた哀れな少女
SBY-SKZ 監視 ワンピースいっちょで
純と不純の瀬戸際 ねえ ほらよく見えるよ
世田谷クルージング 10代最後 お金なんて無いのに
あたしどこへ行くの 遊び疲れて眠る
世田谷ミッドナイト お休みグッドナイト シャラララって歌えば
いつかパパも (パパも) ママもきっと
帰ってくるのかな
ガジュマルの木に登り 井の頭公園巡視
月夜に映しだされた 男とアヒルのボート
KJJ 市役所発行 不穏な書類
ああ どうしてこんな結末
もう何にも見えないよ
世田谷クルージング 20代最後 子供だっているのに
僕はどこへいくの 悪いのはこの街だ
世田谷ミッドナイト お休みグッドナイト シャラララって歌えば
いつか僕ら (僕ら) 離れ離れ
幸せみつかるの?
ガジュマルの木に登り KGYM(久我山) の団地を見てた
微笑む女の手には 新しい生命の声
さぁ
世田谷クルージング 30代最後 お金なんてないけど
みんなどこにいるの もう二度と会えないけど
世田谷ミッドナイト お休みグッドナイト シャラララって歌っても
いつかママと (ママと) 過ごした日々は
帰ってこないこと わかるでしょ

はじめに

2012年12月15日リリースされた『ぼかろ男子ぼかろ女子』に
収録されている楽曲です。

歌詞の所々に世田谷近辺の地名がちりばめられているのが
非常に特徴的です。

『世田谷ナイトサファリ』の生みの親であるみきとさんは
2010年3月にボカロデビューされてから人気を集めています。
アーティスト名は「愛島(あいらんど)」ですが
ボカロPは「みきと」となっており自作曲「みきとP」から
とられています。

『世田谷ナイトサファリ』の曲調からもわかるように
切な系ロックの申し子として高い知名度を誇っています。
曲全体に広がるジャージーでアダルトなメロディラインが
深く重たい題材を扱った歌詞と非常にマッチしています。

それではさっそく『世田谷ナイトサファリ』の深く重たい歌詞を
考察・解釈していきましょう。

この記事を読み終えるころには
『世田谷ナイトサファリ』と文字通り存在する世田谷の
イメージが少し変わるかもしれません。

タイトル「世田谷ナイトサファリ」の意味

タイトル中の「世田谷」は曲の舞台となる東京都世田谷区です。
歌詞中では実際に存在する建物や地名また路線が登場します。

「サファリ」には様々な意味がありますが
MVから「長い旅」という意味が一番しっくりきます。
「ナイトサファリ」ということで「夜の長い旅」となります。
まとめると「世田谷での夜の長い旅」と解釈できます。

MVでは一人の個性豊かなキャラクターが
双眼鏡で同じく個性豊かなキャラクターたちを
一人一人観察する旅が始まります。

観察者側の観点や観察されている側の観点を
織り交ぜて歌詞が構成されています。

どちらの観点も難解な歌詞で表現されているため
理解するには考察が必要になってきます。
また随所に略語が用いられている点も
この歌詞の難解さに拍車をかけていると言えます。


『世田谷ナイトサファリ』歌詞の意味

夜の世田谷区を徘徊する謎の旅行者

ガジュマルの木に登り 井の頭線パトロール

MVでは一匹のマンドリルのような男性が登場します。
見出しにある謎の旅行者がこの男性です。
(※以下旅行者と表記します)
マンドリルは比較的おとなしい性格のようです。
旅行者の性格を表わしているのかもしれません。

旅行者は渋谷~吉祥寺という繁華街同士を結ぶ路線を
行き来します。

世田谷区には「ガジュマルの木」という名前の
飲食店が実在します。
さらに一説では幸せを呼ぶ木とも言われている
ようです。

以上を踏まえると旅行者が「ガジュマルの木」に
登るとは飲食店で一服した後に誰かの幸せを
垣間見るために繁華街へと向かったと解釈できます。

MVでは旅行者の背中に2色の羽根が生えています。
彼の観察の仕方が遊び半分または興味本位と
理解できるので「天使」と「悪魔」のような
性格を併せ持つのでしょう。


観察対象者1~十九歳の少女~

ひらひらな蝶々の群れに 見つけた哀れな少女
SBY-SKZ 監視 ワンピースいっちょで
純と不純の瀬戸際 ねえ ほらよく見えるよ
世田谷クルージング 10代最後 お金なんて無いのに
あたしどこへ行くの 遊び疲れて眠る
世田谷ミッドナイト お休みグッドナイト シャラララって歌えば
いつかパパも (パパも) ママもきっと
帰ってくるのかな
旅行者は繁華街で蝶の様に舞う女性たちを見ます。
格好はきらびやかでゴージャスという表現がまさに
ぴったりでした。そんな中、旅行者は一人の場違いな少女を見つけます。
歌詞中の「10代最後」という表現から
少女の年齢が十九歳であることがわかります。MVでこの少女はウサギの顔をして女子高生のような
格好をしていました。
ウサギはさびしがり屋な性格のようです。
彼女の性格を表わしているのかもしれません。渋谷・下北沢間を注意深く観察してきましたが
「ワンピースいっちょ」でうろつく女性は彼女だけでした。

旅行者はその少女を双眼鏡で注意深く観察し始めます。
彼女の思いの中に最後の十代を大事にしようという
純粋さと、若いうちにハメをはずさなくてはという
不純さの両方を見ます。

旅行者は経験豊かで観察力に長けているのでしょう。
一目で彼女がこの大人の街を楽しめていないことに
気がつきます。

「お金なんて無いのに」という点から少女は繁華街の
店でツケを繰り返し歩き回っているのでしょう。
ハメを外し過ぎてか歩き疲れたのか
少女は疲れ果てて繁華街を後にします。

自宅に帰った少女はベッドで目を閉じます。
ある日を境にいなくなった両親のことを
思い見ます。

おやすみを言って目を閉じれば
次の日に両親が戻ってきていることを
夢見て眠りにつきます。

観察対象者2~二十九歳の男性~

ガジュマルの木に登り 井の頭公園巡視
月夜に映しだされた 男とアヒルのボート
KJJ 市役所発行 不穏な書類
ああ どうしてこんな結末
もう何にも見えないよ
世田谷クルージング 20代最後 子供だっているのに
僕はどこへいくの 悪いのはこの街だ
世田谷ミッドナイト お休みグッドナイト シャラララって歌えば
いつか僕ら (僕ら) 離れ離れ
幸せみつかるの?
旅行者は観察場所を「井の頭公園」付近に変えます。
そこで一人の男性がアヒルのボートに乗っているのを
みます。
実際に世田谷デートスポットとしてアヒルのボートが
存在します。
そんな場所に男性が一人でいるわけですから
よほど思いつめていると理解できます。MVではこの男性がライオンの顔をしています。
ライオンは普段はおとなしいのですが
時に気性が荒くなり大声で吠えることがあります。
男性にもそうした一面があるのかもしれません。歌詞中の「20代最後 子供だっている」という表現から彼が
二十九歳で子持ちであることがわかります。「KJJ」は未だにはっきりとした回答が得られていない略語です。
地理的に近いものでは「北沢総合支所」があります。
いずれにせよ市役所から男性が発行した「不穏な書類」とは
離婚届で間違いないでしょう。

男性は行く宛のなくなった原因を世田谷のせいにします。
この先の将来がまったく見えなくなり一人思いつめていたのです。

「いつか僕ら離れ離れ」という点から
この2回目の観察にはいくらかのタイムラグが
あるのでしょう。

3人で生活していた最中に入手した離婚届の
シーンとも考えられるからです。

男性は離婚という安易な解決方法を取りましたが
それで自分の望む「幸せ」は見つかるのかと
世田谷の夜空に問いかけます。


観察対象者3~三十九歳の女性~

ガジュマルの木に登り KGYM(久我山) の団地を見てた
微笑む女の手には 新しい生命の声
さぁ
世田谷クルージング 30代最後 お金なんてないけど
みんなどこにいるの もう二度と会えないけど
世田谷ミッドナイト お休みグッドナイト シャラララって歌っても
いつかママと (ママと) 過ごした日々は
帰ってこないこと わかるでしょ
旅行者は観察場所を久我山に変えます。
周囲を双眼鏡で観察していると
団地の窓から赤ん坊を抱いた女性が見えました。
旅行者は興味を示し観察を続けます。MVでは女性がヒヨコの顔をしていました。
ヒヨコは経験不足や幼さを表現するときに
用いられることがあるようです。「30代最後」というフレーズから女性は
三十九歳とわかります。
しかしまだまだ経験不足であり先行き不安
であることをヒヨコが描写しているのかもしれません。MVの最後にウサギの少女、ライオンの男性、
ヒヨコの女性が一緒になって登場します。
この点からもこの3人が以前は家族であった
ということが読み取れます。

しかし女性が住んでいる団地が杉並区にある
久我山に住んでいる点からも別居していることが
わかります。

「微笑む女の手」にあった赤ん坊ですが
二つの解釈が考えられます。

一つ目はライオンの男性との間に出来た2人目の
子供という解釈です。
しかしこの場合、すでに別れた男性との子供
ですから戸惑うのが自然かもしれません。

二つ目は新しい男性との子供という解釈です。
今の幸せを全面的に感じているならば
こちらのほうが「微笑む」根拠になるかも
しれません。

しかし彼女は以前の家族と離れ離れになって
いることに関していくらかの罪悪感や後悔が
あることを示しています。

歌詞最後の「いつかママと(ママと)過ごした日々は
帰ってこないことわかるでしょ」という部分は
ウサギの少女の気持ちに戻っています。

一人自宅で両親の帰りを待つ少女でしたが
大人になるにつれて一つのことを悟ります。

それはいくら待てども両親は決して
この家には帰っては来ないということです。

少女は夜の世田谷で一人歌います。
それが気持ちを紛らわせる楽しい歌なのか
悲しみを表現した哀歌なのかはわかりません。

そんな少女の様子を観察している旅行者が
歌うのは自由気ままになされる鼻歌でしょう。

彼は同情や感情移入のような面を持ち合わせては
いないのでしょう。

目の前の出来事を教訓とするわけでもなく
ただひたすらに観察を趣味としているので
しょう。

彼の世田谷を舞台にした夜の長い旅は
終わることは決してないでしょう。

世田谷人口何十万という人々が
彼を飽きさせることはないのですから。

まとめ

旅行者が観察してきたような人物を
わたしたちも目撃することがあるかもしれません。
実際に登場人物と同じような経験をしている場合は
特に共感できる歌詞ではないでしょうか。

別居や離婚など重たい題材を扱った歌詞でしたが
曲のアップテンポなメロディーが暗くなり過ぎない
助けになっています。

登場人物の顔に用いられている動物の考察や
略語からの地名特定や位置関係で世界観は
無限に広がっていきます。

これから世田谷に訪れるたびに
『世田谷ナイトサファリ』が頭の中で
流れるようになるかもしれません。

不思議で怪しげな世界に招待してくれた
みきとさんのこれからの活躍に目が離せません。