まふまふ『生まれた意味などなかった。』歌詞の意味を考察・解釈

厚紙の箱に捨てられた
命ならば値打ちはないか?
バス停 待合に渦巻く
見て見ぬふりの雑踏

書き損じはどうしようもないが
それに勝る反吐が出ないか?
その行方は今日日じゃ
誰も知らない

母の手を零れた
小さな命は
後部座席に勝る価値もない

何者にもなれる命で
救えるものひとつもないのだ
これほどに器用な手先で
救えるものひとつもないのだ
僕たちは

底知れた愚鈍な世界だ
書き物に筆を取れども
ぶちまけたインクのそれが
ひどく適切ではないか?

死にたいかと言われりゃ
特に死ぬほどの孤独でもないが
生きたいか問われたら
何も言えない

虚しさに適した表情はどれだ
書き始めの言葉は
「生まれた意味などなかった。」

先見えぬ小説を読めば
捲り終えぬ世界があるのか?
振り向けば崩れる足場で
明日から何処へ向かうのだろう
僕たちは

アンノウン アンノウン
「私は誰だ」「貴方は誰だ」
アンノウン アンノウン
消しては書いて 丸め捨てては
アンノウン アンノウン
自分ひとつが未だ書けない
生まれた意味などないのか?
生まれた意味などないのか?
ーーー生まれた意味などないのだ。

事切れぬものなんてないのに
救えるものひとつもないのに
この命に意味などないのに
優しい明日なんてないのに

行かなくちゃ
たとえ死に向かって歩いていたって
書けなくちゃ
当然余白も残っちゃいないが
知らなくちゃ
明日を この途方もない暗晦を
生きなくちゃ 生きなくちゃ
生きなくちゃいけない

はじめに

『生まれた意味などなかった。』とは2019年8月30日にネット上で公開された
楽曲です。
同年10月16日リリースされるアルバム『神楽色アーティファクト』に収録され
ています。

動画再生回数は公開された数時間で3万に到達する驚異的な人気を誇っていま
す。

動画コメント欄にも今作についてこのように記載されていました。
「大人になるほど この指先は器用になるほど 傷つけ方ばかりを知ろうとする」
上記コメントからわかるように「大人」への痛烈なメッセージが今作には込めら
れているのだと考えられます。

MVの内容に注目してみたいと思います。

少女が俯きながら道を歩いています。
少女の気持ち、そしてまふまふさん自身の客観視した意見が作文の上に綴られて
いました。

少女の繊細で複雑な感情とそれを理解することが難しくなった大人へのメッセー
ジが、今作の中心軸となっていると筆者は考えます。

曲調はどのようなものでしょうか。
イントロからローテンポで奏でられるアコギが全体を支えています。
少女のとぼとぼと歩くペースに合わせたメロディがとても切なく感じます。

それではさっそく気になる歌詞を考察していきたいと思います。

タイトル『生まれた意味などなかった。』とは

歌詞全体は大きく分けて2つの対象者について歌われています。
1つは「少女」についてです。
2つめは「大人である僕ら」です。

少女は自分の命の価値、存在意義について疑問視しています。
大人たちはそれを理解できず誰ひとり気持ちを理解できず、命
も心も救えないことを嘆いています。

そして両者はそうした理由からタイトルにあるように「自分が
生まれた意味」
について自問するようになったのでした。

『生まれた意味などなかった。』歌詞の意味

誰にも必要とされない命

厚紙の箱に捨てられた
命ならば値打ちはないか?
バス停 待合に渦巻く
見て見ぬふりの雑踏

書き損じはどうしようもないが
それに勝る反吐が出ないか?
その行方は今日日じゃ
誰も知らない
母の手を零れた
小さな命は
後部座席に勝る価値もない

歌詞冒頭では自尊心を失くした少女の感情が綴られて
いました。

「厚紙の箱に捨てられた 命ならば値打ちはないか?」
とはどういう意味でしょうか。
これは「ごみ箱」に捨てられたかのように自分の命が、
ずさんな扱いをされているという意味なのでしょう。

彼女は自分の命が誰かより優れているとか、なにかの
分野で役立てられるなどとは考えません。

「書き損じはどうしようもないが それに勝る反吐が出
ないか?」
というフレーズについても考えてみましょう。

彼女は「書き損じ」つまり自分が間違うことや足りない
部分があることを認識しています。
しかしそれに関して「反吐」つまり不愉快になったり、
思いを吐き捨てることもありません。

落ち込むことも苛立つこともできないほど、彼女は気力
を失くしていたことを理解できます。
筆者も含め多くの人がこの無気力な状態に陥ったことが
あるかもしれません。

「後部座席に勝る価値もない」というフレーズは難解で
あり奥深い表現です。
「後部座席」重役を乗せたり、車内の中で安全な位置
を示しています。

ですから彼女は自分の命は重んじられたり安全に守られ
る価値もない
、ということを例証しているのだと筆者は
解釈しました。

救えない命だが死にたくはない

何者にもなれる命で
救えるものひとつもないのだ
これほどに器用な手先で
救えるものひとつもないのだ
僕たちは

底知れた愚鈍な世界だ
書き物に筆を取れども
ぶちまけたインクのそれが
ひどく適切ではないか?
死にたいかと言われりゃ
特に死ぬほどの孤独でもないが
生きたいか問われたら
何も言えない

虚しさに適した表情はどれだ
書き始めの言葉は
「生まれた意味などなかった。」

ここからは「僕ら」で示された大人たちの観点で歌詞が
綴られています。

人間が生み出す最高傑作はすべて両手によって作られて
います。
その事実は揺らぐことも疑うこともできません。

しかし大人たちがここで痛感している点は、冒頭の少女
の心や命を救うことができないということです。
物は生み出せても、自尊心を新たに生み出すことも失わ
れた命を再生することも勿論できません。

人の心を理解するのはとても難しいことだと筆者も思い
ます。
余談ですが昔、陶芸をやっていたことがあるのですが、
粘土に対して正しく手を添えて力を加えていきます。

それらが調和良くなされると素晴らしい作品が生まれて
いくのです。
しかし人の気持ちを理解することはこれと同じようには
いきません。

少女のように自尊心を失った人に手助けをしようと手を
伸ばします。
傷つけないように言葉の力を加減したりもします。
それでも気持ちを理解できず断念することがありますね。

余談で筆者が言いたいのは人の心は井戸のように深く探
理難いということです。

歌詞にもあるように誰かの役に立てないと知ると、人は
生きる意味について考えるようになります。
自分の価値を図ることさえするようになるのです。

上記のように感じても自分の命を絶つまでの気力はない
のです。
しかし希望を抱いて前向きに生きたいかと尋ねられたら
それは別の話なのだと歌詞は綴っています。

大人たちの難しい現状と感情がリアルに記されています。

生まれた意味を探して生きる

行かなくちゃ
たとえ死に向かって歩いていたって
書けなくちゃ
当然余白も残っちゃいないが
知らなくちゃ
明日を この途方もない暗晦を
生きなくちゃ 生きなくちゃ
生きなくちゃいけない

ここでは少女と大人たちの両者に対してまふまふさんが
客観的に意見を述べている場面です。

「行かなくちゃ」つまり「行動」しなければならない事
に言及しています。
いつか死ぬ人生であっても、比喩的な意味で心が死ぬよ
うな思いをすることがあってもです。

「当然余白も残っちゃいないが」とは自分に余裕がない
ことを示しています。

少女や大人たちにとって明日は「途方もない暗晦」のよ
うに感じます。
「暗晦(あんかい)」とは暗い状態を意味する言葉です。

ですから暗中模索であっても行動し生き続ける大切さを
まふまふさんが伝えているのだと筆者は感じました。。

まとめ

いかがだったでしょうか。
人の命について大切に思い、応援する優しい心遣いを今
作から感じることができました。

自分の存在価値を疑うことは決して悪いことではありま
せん。
しかし自分を卑下し続け、自ら命を絶つことは懸命とは
言えないでしょう。

今作が誰かの命や心を救うきっかけになることを筆者も
願っています。

まふまふさんの今後の活動と次回作に期待し注目してい
きたいと思います。

素敵な作品をありがとうございました。

3 件のコメント

  • 共感しか出来ない。
    生きることの何もかもに疲れて、足も動かしたくないほど気力がなくなった時、命を絶つことさえ面倒に感じる。だから仕方なくこの世に存在している。だけど、そんな自分がこの世に居たところで、何かを救える訳でも何かに貢献出来る訳でも無いから自分の命に価値を見いだせない。
    こういう時に一番重要なのは、自分を見つけ出す時間を過ごす事だと思う。何故生きることに疲れてしまったのか、生きる目的は何か、自分の好きなものは、嫌いなものは。本当に何もなかったのなら、それを見つける事を生きる目的にするのがいいと思うし、何か思い浮かぶ事があるのなら、それを解決するなり広げるなりして自分をもっと見つめる機会をつくればいい。
    「誰かのために」じゃなくて、「自分のために」生きて欲しい。
    自分の苦しみと向き合えるから、誰かの苦しみも救えるのではと思う。「裏切り者」にも「目撃者」にもはたまた「当事者」にもなりうる人生で、その「器用な手先」を差し伸べられる大人になれるのは、自分がかつて必死になって「途方もない暗晦」から自分を見つけ出すことが出来たからなのではないかと思う。
    全てが綺麗事のようにしか聞こえないと思う。だけど、作曲した彼自身の経験、想いや「気づかなかった」で済まされる数々の苦しみは、確かに今も何処かに残っていて、それがこうしてただ一つの唄となってこの世界に生まれたことは事実であることを知っていて欲しい。私はあまり普段こういった考察を見て共感や納得はしないが、この曲に関しては思うところが多すぎて共感の嵐だった。
    ここまで見てくれた方ありがとうございます。これからもこの曲やまふまふさんの曲を大切に聴いて一緒に心を震わせましょう!

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