まふまふ『それは恋の終わり』歌詞の意味を考察・解釈

汗ばむ温度を風に乗せて
この夏最後の花火を見るんだ
夕日の影が夜を連れた
この夏最後のボクらの夢

不意の視線と 黒い長髪を結わいた
浴衣姿と華奢な背中
黄昏時の向こう ぱーっと
あの空に

花火が上がって 君が微笑んで
その有り触れた日々が全てで
それだけだった
夜空を着飾る光の粒に
遅れて音がする
それが恋の終わりと知らずに
君に笑いかけていた

心がどこか漫ろなのは
下駄が擦れて痛むからだっけ
歩幅も何も合わないのは
人目を避けて歩いたから?

空っぽの手すら埋められない
意気地なしの最終列車
ラムネの呼吸に閉じこもる
このビー玉みたいに
あの海の向こう側よりも
ずっとずっと遠い一歩
例えどれだけ近づいても
その願いはもう遠すぎる

花火が可憐に色づいて見せる
その暗闇の深いところに
気づけなかった
ふたりの隙間を 照らす残り火
遅れて音がする
打ち上がっては賑わう人波
今日は8月の空
それが恋の終わりと知らずに
君に笑いかけていた

あと少しの もう少しの
埋まらない距離と夏
届かない 触れない
あの花火のように

はじめ

『それは恋の終わり』とは2019年9月18日にネット上で公開された楽曲です。
同年10月16日リリースされる『神楽色アーティファクト』の18番目に収録され
ています。

上記アルバムの初回盤Aの特典映像DVDには、まふまふさんの演奏シーンに焦
点が当てられたドラマシーンのないオリジナルバージョンの『それは恋の終わ
り』実写MVが収録されているようです。

動画再生回数は公開初日から30万をマークしており大人気となっています。

前作「夢のまた夢」「水彩銀河のクロニクル」でも実写映像が強烈なインパクト
を残しましたが、今作も実写映像となっています。
今回は俳優の佐野勇斗さん、髙橋ひかるさんをキャストとして迎え入れ作品を盛
り上げていました。

お二人のコメントが寄せられていましたのでご紹介したいと思います。

【佐野勇斗 コメント】

ミュージックビデオの撮影終えて、今年の夏の思い出が作れたような気がし
て、とても楽しかったです。神社に行ってお参りして、ラムネ飲んで、花火
を見たりと、こんなデートしてみたいなって思いました。
まふまふさんの美しくて透き通った声に、切ない歌詞が、心に沁み渡りまし
た。
夏の終わりを感じさせたり、夏の夕方に聴こえてきそうな虫の声が楽曲に使
用されてますが、切ないけど、どこか懐かしくて素敵な曲だなと思いまし
た。

【髙橋ひかる コメント】

まふまふさんの楽曲は儚さも美しさも力強さも共存していて、今回の“それ
は恋の終わり”も切なくも美しくて苦しくて、恋の味がギュッと詰まった一
曲だなと思いました!
女性のことを忘れられない男性が二人で過ごした楽しくも切ない夏の記憶を
思い出しながら、その時の楽しそうな2人を見つめているのが切なくて、、
MVを見てくださる方にもその気持ちに共感してもらえたら嬉しいです!

https://rockinon.com/news/detail/189388  rockinon.com より

お二人のコメントからもわかるように今作では「ひと夏の恋模様」を描いてい
るようです。
さらに動画コメント欄には「晩夏を照らす残り火が 恋の終わりと知らなかっ
た」
と述べられていました。

今作はハッピーエンドで終わるラブソングではなく、切なく夏の恋を回想する
内容になっているんですね。

曲調もテーマに合わせてイントロはしっとりと開始されていきます。
しかしミドルテンポを維持しながら後半は躍動感あるロックチューンとなって
いました。
何気なく始まった恋が勢いを増して加速していくような印象を受けました。

歌詞の意味や背景にはどんな考えが収められているのでしょうか。
それではさっそく気になる歌詞の意味を考察していくことにしましょう。

タイトル『それは恋の終わり』とは

前述でも取り上げましたが、動画コメント欄には「晩夏を照らす残り火が 恋の
終わりと知らなかった」と記載されていました。
つまりタイトルの「それは」が指し示すのは「晩夏を照らす残り火」です。

「晩夏(ばんか)」とは「夏の終わりごろ」を指す言葉です。
気象上では、処暑(しょしょ)を過ぎた8月23日頃から9月1日頃とされています。

「残り火」は歌詞やPVからしても「打ち上げ花火」に関するものでしょう。
さらにそれを歌詞の中では比喩的なものに例えています。
この点は続く考察で扱いたいと思います。

『それは恋の終わり』歌詞の意味

晩夏の花火

汗ばむ温度を風に乗せて
この夏最後の花火を見るんだ
夕日の影が夜を連れた
この夏最後のボクらの夢

PV開始時、 佐野勇斗さん演じる男性が極楽寺駅から降りてきます。
神奈川県鎌倉市極楽寺三丁目に存在する江ノ島電鉄の駅をチョイスする辺りが
乙です。

彼は髙橋ひかるさん演じる女性と待ち合わせしており笑顔で合流していました。
二人の体温を夏の残暑と恋心が上昇させていくように感じたことでしょう。
それでも汗ばんだ身体を夕方のそよ風が優しく撫でます。

二人の心の内はある決意で満たされているようです。
「この夏最後の花火を見るんだ」
実際に待ち合わせて見に来ているわけですが、二人の願いの強さを強調している
ように思えます。

歩いていくと二人の影が夜に引き込まれて見えなくなりました。
夕方から夜へと表情を変えた空を見て、二人の期待は高まっていったことでしょ
う。

無我夢中―終焉の音、忘れて

花火が上がって 君が微笑んで
その有り触れた日々が全てで
それだけだった
夜空を着飾る光の粒に
遅れて音がする
それが恋の終わりと知らずに
君に笑いかけていた

花火会場についた二人は空を見上げて花火に釘付けになりました。
花火が「ドン!」と力強い音を立てて夜空に咲いて見せるたびに、
彼女が微笑むのです。
そんな横顔をそっと眺める彼も微笑んでいました。

彼の中ではこの瞬間だけが真実でありそれだけで十分だったのです。
気づけば彼の視線は花火から彼女の横顔へと移っていたのでしょう。
花火の轟音が二人の胸を力強く打ち続けました。

「なんて幸せな音の響きなんだ」
彼はそう感じて満面の笑みをこの時、浮かべていました。
しかし後になって振り返ると、その音は二人の関係に終焉を告げる
合図
のように感じたのです。

そうとも知らずに「永遠に続くように思える時間」を彼女に微笑み
を向けながら彼は無我夢中で楽しんでいたのです。

違和感の原因

心がどこか漫ろなのは
下駄が擦れて痛むからだっけ
歩幅も何も合わないのは
人目を避けて歩いたから?

空っぽの手すら埋められない
意気地なしの最終列車
ラムネの呼吸に閉じこもる
このビー玉みたいに
あの海の向こう側よりも
ずっとずっと遠い一歩
例えどれだけ近づいても
その願いはもう遠すぎる

二人は花火会場を後にして帰ります。
しかしお互いどこか違和感のようなものを心に感じています。
「心がどこか漫(そそ)ろな」とは「なんとなく、また落ち着かず
そわそわした」
状態を指しています。

違和感の理由をそれぞれが辿りいくつかの理由を考えます。
「下駄が擦れて痛いから苦笑いになる、相手に集中できない、、」
「二人の距離が離れているのは、、周囲の目が気になるから、、」
いくら理由を考えても二人は不に落ちない表情を浮かべています。

「空っぽの手すら埋められない 意気地なしの最終列車」とある
ように二人は手すら繋げないまま距離を保っていました。

歌詞中ではお互いの心の状態を2つの例証によって表現しています。

1つめは「ラムネの呼吸に閉じこもる このビー玉みたいに」です。
ラムネの呼吸とは「炭酸」だと思われ、ビー玉は文字通りのビー玉です。
相手と相手の心に「触れられない」という点を強調しているのだと解釈
しました。

2つめは「あの海の向こう側よりも ずっとずっと遠い一歩」です。
これは相手と相手の心と自分と自分の心とが「遠く離れている」つまり
距離を強調しているのだと解釈しました。

上記を要約すると「触れられないほど遠く離れている距離」がお互いに
存在しているということなのでしょう。

どれだけ二人が願ってもこの「一歩」の距離を埋めることができません。
PVでもお互いが見せた悲しげで言いようのない表情を見せていました。

それでも二人が相手には決して言えなかった気持ち、それを今も大事に
しているに違いありません。

「また来年も逢えますように」

まとめ

いかがだったでしょうか。
最後の締めくくりは筆者の願いのようなものになってしまいました。
恋愛における最高潮の部分、そして夢から覚めたかのように感じる
切なさがリアルに表現されていましたね。

夢中の時には気がつかない感情や距離感に気づいてしまった時に見
せる二人の表情が、今も忘れられません。

会場を賑わせた花火とは裏腹に二人の複雑に絡み合った気持ちを垣
間見ることができました。

夏の終わりにぴったりの切ないナンバーを楽しむことができました。
まふまふさんとキャストの佐野勇斗さん、髙橋ひかるさんのエモー
ショナルな立ち回りと表情にも魅入られました。

皆さんの今後の活動に注目しながら応援していきたいと思います。
素敵な作品をありがとうございました。

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