キタニタツヤ『ハイドアンドシーク』歌詞の意味を考察・解釈

向こう岸のことやら、くだんないことばかり恐れて
ありもしない正しさの奴隷さ
チャチな走光性 夏の夜の火に身を焦がして
音も立てずに散って逝く、あの羽虫のように終わりたいんだ

追えば追うほどに逃げてしまう
あの太陽へと近づいて、羽根の溶ける音を聴く
丸々と肥えた自意識で臆病な僕らが身を隠したって無駄
彼は天井から見ている
すぐに見つかってゲームは終いさ

逃げ切れなくなって僕ら
騙されていく 騙されていく
見せかけの太陽に皆
喰われちまって 壊れちまって
正しさはもうどこにもないんだ

どうして天の賜った言葉の導くままに歩めないのか?
為す術なく塔は落ちる、んで馬鹿はいつも悲劇を招く
分断され惑うばかり
孤独な僕らの怯えた眼、白く濁ってたんだ

燃えるピアノ、破られた絵画
四肢を失くした踊り子が喘いでいる
些細な悪意が群がって、蓮のように醜く爛れた国で
息を潜めて

逃げ切れなくなって僕ら
騙されていく 騙されていく
見せかけの太陽に皆
喰われちまって 壊れちまって
正しさはもうどこにもなくて

上手く隠れたはずなのに
足音がすぐそこに来ている
僕らの頭上にずっと
生温い視線が向いている
一人として逃げれやしないんだ

顔を上げて鬼と目が合って
慈しみの罰が下るまで

向こう岸のことやら、くだんないことばかり恐れて
孤立していく僕らは何に縋って生きてゆくのだろう?

キタニタツヤ『ハイドアンドシーク』の概要

今回は人気アーティストであるキタニタツヤさんの楽曲『ハイドアンドシーク』の歌詞考察をしていきたいと思います。

本サイトでキタニタツヤさんの楽曲を考察するのが初めてなので、簡単に紹介しておきます。

キタニタツヤ

2011年10月、1人でバンド「羊の群れは笑わない。(略称:ひつわら)」を結成。
以降、さまざまなバンドを結成するも最終的にはシンガーソングライターとして活動している。

学生時代のベースから始まり、作詞作曲、コンポーザーと幅広い活躍を見せています。
ベースに関してだが、バンド「ヨルシカ」のサポートメンバーとしてベースを努めるている。

2015年5月には「こんにちは谷田さん」と名乗りボカロPとしても活動していた。

楽曲の特徴は、他人へのメッセージを込めた「悪魔の踊り方」を除き、自らが抱えている感情を押し出した「自分のための曲」を書いている。

ここまでの情報から、キタニタツヤさんの幅広い音楽活動が把握できますね。
続いては今作『ハイドアンドシーク』の紹介です。

『ハイドアンドシーク』のMVが2020年6月26日にネット上で公開されました。
動画再生回数は公開から2週間で80万を超える人気ぶりを見せていました。

MVでは キタニタツヤさんが主人公となり物語が展開されていきます。
彼の他に赤鬼(罪)と青鬼(罰)が登場し、2匹は彼を追いかけ危害を加えていきます。

MVから以下のメッセージ性を感じました。

・繰り返す罪と罰

・地獄の概念

上記のように感じたのは、ラストで鬼が主人公を殴ったことで最初にいた場所に戻ったからです。

このループから「繰り返す罪と罰」という考えが筆者の脳裏に浮かびました。
さらに鬼が彼を追いかけ、永久に苦しみを与え続けるシーンから「地獄」の概念も生まれました。

加えて歌詞に注目すると他宗教の教理や出来事が取り入れられていることを理解できます。

例えば歌詞の「塔」「分断」から聖書の創世記11章を連想しました。
その章では「バベルの塔」が登場し、神に挑戦した人たちの言語が混乱させられたことが記述されています。

対して「向こう岸」という表現は、仏典に登場する「三途川(此岸と彼岸を分ける境目にあるとされる川)」を連想させます。

MVで確認できる「鬼」や主人公が手に持つ「仏像」などから仏教の要素が強いですが、筆者は他宗教の概念が織り交ぜられていると思いました。

主人公の口に付けられたテープの数字についても考えてみました。

「1111」―エンジェルナンバーとする見方があり、天使からのメッセージ、また奇跡的な出会いを意味する。
これは歌詞中で、神に近づこうとする人間を暗示しているように思えます。

「1189」―1つには「白川静『常用字解』の見出し番号1189の胎はらむとい意味)」を指しているという解釈ができます。

筆者は聖書をたびたび引き合いに出しますが、ヤコブの手紙1章15節には「欲望がはらんだ時に罪を生む」ことが記述されています。
今作では、人の罪に言及していると思われる箇所が幾つかあります。

もう1つには聖書の章が全部(ヘブライ語+ギリシャ語)で「1189章」であることと関係するという解釈です。

2つの解釈を併合して考えると、ある人たちは「聖書を神からのメッセージ」とし、導きにしているという点を伝えているのかもしれません。

しかし主人公の口にそれらを示す数字の書かれたテープが張られていることから、断じてその点を認めない人たちもいることも伝えているようでした。

1つの教理に関するさまざまな視点がMVで描写されていると感じました。

『ハイドアンドシーク』の意味とは

「hide」 は「隠れる」という意味の動詞であり「seek」 は「探す、求める」という意味の動詞です。
それらを合わせた「hide and seek」 は「隠れた人を探す遊び」すなわち「かくれんぼ」を意味しています。

先ほど考えた聖書の創世記3章には、罪を犯した人間が神から身を隠そうとする記述があります。

以降、罰を過度に意識した人間は神を病的に恐れながら生きることが習慣づいていきました。

宗教によって罰を与える存在が「神」また「鬼」と異なります。
いずれにせよ筆者はタイトルの、隠れる側を「人間」、見つける側を「神、また鬼」としていると解釈しました。

『ハイドアンドシーク』歌詞の意味

見当たらない善悪―刹那的な生き方

向こう岸のことやら、くだんないことばかり恐れて
ありもしない正しさの奴隷さ
チャチな走光性 夏の夜の火に身を焦がして
音も立てずに散って逝く、あの羽虫のように終わりたいんだ

今回の考察では1人の男性を主人公として進めていきます。

彼は宗教のある教理に関して批判的な意見を持っているようです。
また歌詞全体の考えから不可知論者をうかがわせます。

前述でも扱いましたが「向こう岸」とは「三途川」を指すのでしょう。
彼はそれを「くだんないこと」に含んでいますから、死後のことは死んでみなきゃわからないという考えを持っていると予想できます。

ありもしない「正しさの奴隷」という表現から、彼が正邪の基準は存在しないと考えていることを読み取れます。

「チャチな走光性 夏の夜の火に身を焦がして」とは、簡単に言い換えると「飛んで火にいる夏の虫」を指すのでしょう。
これは「自ら災いを身に招く愚かさ」を意味しています。

彼がそのような愚かな虫のように一生を終えたいと考えているのは、正邪の基準を提示することのできない世の中に飽き飽きしているからだと解釈しました。

彼は退廃的な考えを持っており、これといった目的もないようです。
ですから自然と刹那的な生き方をするようになったと考えられます。

人々が仰ぎ見る「太陽」とは

追えば追うほどに逃げてしまう
あの太陽へと近づいて、羽根の溶ける音を聴く
丸々と肥えた自意識で臆病な僕らが身を隠したって無駄
彼は天井から見ている
すぐに見つかってゲームは終いさ

逃げ切れなくなって僕ら
騙されていく 騙されていく
見せかけの太陽に皆
喰われちまって 壊れちまって
正しさはもうどこにもないんだ

Bメロ以降、何度も登場する「太陽」とはなんでしょうか。

古来より「太陽」をとする考えが広くみられていました。
聖書では神が太陽を創造したとしているので考え方はさまざまです。

歌詞の太陽は人間がそれぞれ思い描く「神」を指すのでしょう。
主人公は皮肉にも「見せかけの太陽」と嘲笑い、存在しないものに一生を喰われていると述べているようです。

このフレーズだけ見ると、彼は無神論者のように思えます。
しかし「彼は天井から見ている」というフレーズから、神が自分を見張っていることを実感しているようです。

「逃げ切れなくなって」という表現から、彼がやMVに出てきた「鬼」などの存在から追われている感覚を持ち合わせていることが読み取れます。

彼は不可知論者であると予想されるので、どのような存在が自分に危害を加えるかなどを鮮明には理解していないのでしょう。

しかし感覚的に、そのような恐怖から逃れたいと感じていると理解できます。
皆さんにも彼と同じような感覚に捉われた経験があるでしょうか。

バベルの塔―他言語と他文化の発祥

どうして天の賜った言葉の導くままに歩めないのか?
為す術なく塔は落ちる、んで馬鹿はいつも悲劇を招く
分断され惑うばかり
孤独な僕らの怯えた眼、白く濁ってたんだ

燃えるピアノ、破られた絵画
四肢を失くした踊り子が喘いでいる
些細な悪意が群がって、蓮のように醜く爛れた国で
息を潜めて

ここでは神に従わない人間の愚かさが、聖書中の出来事と共に綴られているようです。

「どうして天の賜った言葉の導くままに歩めないのか?」というフレーズから、神に従わず、神に挑戦することを選んだ人間たちの愚かさを垣間見ることができます。

前述で扱ったように「塔」「分断」から 、聖書の創世記11章で「バベルの塔」を作り、神に挑戦した人たちの言語が混乱させられたことを連想できます。

歴史的背景を辿れば、ニムロデと呼ばれる人物を中心に塔が建造されました。
彼は最初の帝国の創建者であり王でした。

塔を作った理由は幾つかあり、人々を神より自分に従わせようとしたこと、またすでに起きた大洪水でも流されない塔を建設することで神に挑戦しようとしたことが挙げられます。

しかし歌詞にも「為す術なく塔は落ちる、んで馬鹿はいつも悲劇を招く」とあるように、ニムロデを含む建造者たちの言語は混乱させられ、塔の建設は中断させられました。

この出来事が多言語と多文化の発祥とされています。

続く「燃えるピアノ、破られた絵画、四肢を失くした踊り子」たちは、神から見放された人類が恵まれた立場を失ったことを暗示しているように思います。

主人公は、自分の生きる世の中を「音楽や絵画、また踊り」など人の楽しみが一切失われたように退屈な世界だと見ているのでしょう。

隠れる罪人を見つける存在

上手く隠れたはずなのに
足音がすぐそこに来ている
僕らの頭上にずっと
生温い視線が向いている
一人として逃げれやしないんだ

顔を上げて鬼と目が合って
慈しみの罰が下るまで

この部分がタイトルを最も明快にさせています。

主人公は「上手く隠れたはずなのに」という言葉を用いて、人間の罪を覆い隠そうとする傾向に言及しているようです。

しかし「生温い視線が向いている」「逃げられやしない」などの表現から、罪人を見つけ罰する存在がいることに触れているように思えます。

「鬼と目が合って」という表現から、自分の罪深さを知っている存在がいることが伝わってきます。

「慈しみ」とは「可愛がって大切にする」ことです。
しかし「罰」と結びついていることから、鬼の観点で人間が可愛がりを受け続け、永久に大切に痛みを与え続けられることを描写していると解釈しました。そう考えると不気味な表現方法ですね。

主人公だけでなく、多くの人たちが見えないものの存在と死後の結末を恐れ、また身を隠して生き続けているのかもしれません。。

まとめ

いかがでしょうか。

キタニタツヤさんの独特の世界観と教理に対する思いを幾らか感じ取ることができました。

MVや歌詞はJ-POPでは非常に珍しいスピリチュアルな仕方で表現されていたように思えます。

コメント欄では「輪廻転生」や「回帰」など色々な要素も考察されていました。
全く異なる見解や解釈もあると思いますので自由にコメントして下さい。

奥深く考え抜かれた作品を提供して下さりありがとうございました。
キタニタツヤさんの今後の活動と次回作に期待し、注目していきたいと思います。

ここまで記事を読んで下さった皆さんにも感謝します。
ありがとうございました。

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