糸奇はな『環-cycle-』歌詞考察・円環と願いの地図の先

枝に結ぶ 実が熟す前に
落ちてしまわぬよう
苦しいほどに また咲き乱れる
朝へ つなぐよう

何度繰り返し 繰り返し 生まれても
いつも 新しい 空を見せてあげよう

還る場所が あればどこへでも
飛んで行けるだろう
羽ばたくこころ 明日よりも遠く
風に のせたら

誰もまだ誰も 書いてない物語
白い 真っ白い地図に 描いてゆこう

何度繰り返し 繰り返し 生まれても
ここへ 迷わずに 帰れるはずだから


はじめに

シンガーソングライターである糸奇はなさんの『環-cycle-』は、2017年秋に彼女のデビューシングルとして発表された楽曲です。
同時に、『環-cycle-』はテレビアニメ『魔法使いの嫁』1話~12話のエンディングテーマとして起用されています

糸奇はなさんの透き通るような、そしてすこし掠れた独特の歌声が、作曲・詩・アレンジに絶妙に融合して『環-cycle-』を聴いていると、非日常……まるで異世界へと連れ出されるような気分がします。

では、今回は糸奇はなさんの『環-cycle-』の歌詞世界をゆりはるなが、ゆっくりと紐解いていこうと思います。

タイトル『環-cycle-』にこめられた意味とは

『環-cycle-』は、ボーカルを担当している糸奇はなさんのオリジナル楽曲ではありません。

『環-cycle-』は、伝説的ロックユニット『ZABADAK』 の吉良知彦さん(2016年死去・享年56歳)作曲/(吉良さんの奥様である)小峰公子さん作詞/による楽曲なのです。吉良知彦さんが生前ストックしていた楽曲に小峰公子さんが歌詞を作成し、『環-cycle-』は出来上がりました。

ZABADAK(ザバダック)は、日本のロックユニット。

1985年、吉良知彦・上野洋子・松田克志の3人で結成し[1]、翌1986年に東芝EMIよりLPレコード『ZABADAK-I』でデビューした。
1993年以降は吉良によるソロユニットとして活動し、2011年3月、小峰公子が正式メンバーとして加入して二人組ユニットとなった。2016年7月に吉良が死去して以降は、小峰とサポートメンバーにより活動を続けている。(Wikipediaより引用)

『環-cycle-』というタイトルから、この楽曲が『魔法使いの嫁』という作品に込められた「愛情への切望・迷い・出会い・運命・別離・願い・無償」というテーマの物語のエンディングと深く繋がりを持つことを予感させ、世界観を深く彩ります。

そして中心メンバーである吉良知彦さんを亡くして(通じて)なお、音を奏で続けるZABADAKというロックユニットににしか産みだせない『輪廻――輪――環』をまざまざと感じ取ることが出来るのです。


『環-cycle-』歌詞考察

大切にしたいものを大切にする

枝に結ぶ 実が熟す前に
落ちてしまわぬよう
苦しいほどに また咲き乱れる
朝へ つなぐよう

冒頭で切なくなるような情景と、輝きに胸を打たれるような情景が対照的に描かれます。

ここで「実」という言葉に隠喩されるのは、人の想いや願い、そして命。
私たちは毎日何気なく生きているのではなく、生まれついたこと自体が奇跡だと言えるでしょう。

そして、他の人々と出会うこと。希望を抱くこと。懸命に何かに打ちこむこと。苦悩すること。傷つくこと。泣くこと。そんなことも、生まれなければ起こりませんでした。本当は全てが奇跡なのです。当たり前ではないのです。

生きることで、否応なく味わい、見なければならない全てを「実」という言葉に託し、熟しては土に落ち、芽を出して命を繋ぎ、やがて花を咲かせ太陽を仰ごう、という静かな決意が表されます。

美しい花はいつか枯れ落ちます。それを知っているから美しいほどに、苦しい思いもするかもしれません。
しかし、それを恐れない気持ちが歌詞の中に凝縮されています。


新しい空を自分へ見せてあげたい

何度繰り返し 繰り返し 生まれても
いつも 新しい 空を見せてあげよう

実際に「生まれ変わり」や「輪廻転生」が出来るかどうかは分かりません。
私たちは死んだ後のことを知らないからです。

ですが、人生の痛みや苦しみに追い詰められたり、絶望してしまうことから、もう一度歩み始めることこそが「繰り返し生まれる」ことと言えなくはないでしょうか。

『環-cycle-』がエンディングテーマとなっているアニメ『魔法使いの嫁』の世界において、主人公の少女は、魔法の能力を持っていたために家族から気味悪がられ、疎まれ、絶望して自分で自分を奴隷として売りに出してしまいます。
その絶望から彼女の人生が少しずつ再生し、様々な人々との出会いや困難にあうことで成長を遂げていきます。

『魔法使いの嫁』のストーリーとリンクしながら、『環-cycle-』のストーリーも巡ります。
その巡りの先でこそ、人は絶望から再生し「新しい空」を見ることが出来ると語るのです。

その場所が見つかるまでは繰り返し続けて

還る場所が あればどこへでも
飛んで行けるだろう
羽ばたくこころ 明日よりも遠く
風に のせたら

先述の『魔法使いの嫁』の主人公チセには、「家族」や「故郷」という帰る場所がありません。帰る場所がない人間は、一体何を心の支えにして生きていけばいいのでしょうか。

お気付きの方もいらっしゃるかもしれませんが、『環-cycle-』のこの部分の歌詞の中では「帰る」ではなく「還る」という字が意識的に使われているのが分かります。
なぜ「還る」なのか。

「還」という字に、ただ行って戻るだけでなく、「繰り返す」しかも、以前ような絶望にさいなまれた自分とは違う自分になって、何度でも「新しく繰り返す」という意味が隠されています。

思えばそれはとても険しく厳しいことです。傷つくたびに乗り越え自分を鍛えていかなければならないからです。しかし、そうなれればこそ、人の心は本当の意味で強さや優しさを持つことが出来る。本当の勇気を持てる。

そうしなければ本当の自分にはなれない。本当の自分になれた時にこそ、生きたい場所、ずっと一緒にいたい人の元へと、自由に羽ばたいていけるのではないでしょうか。


自分が自分であることこそが、地図

誰もまだ誰も 書いてない物語
白い 真っ白い地図に 描いてゆこう

短くシンプルでいて、とても美しい言葉の並びと響き。

そして実際にこの通りにしようとするならば、とてもとても難しいことなのだと、改めて思い知らされる歌詞の内容。

もしかしたら昔は願いや夢があったのに、それを忘れて誰かが引いたラインに沿って、何の疑問も持たずに生きていくこと。
本当は毎日様々なことが心のどこかで引っかかっているのに、面倒くさかったり怖かったり、人から疎まれるのが嫌だからと、なあなあにしてしまったこと。

そんなごまかしの全てが、真っ白な地図をぐちゃぐちゃに汚してしまいます。

『環-cycle-』における、描かれる「地図」は単なる土地の名前や方角を表す紙切れではないのでしょう。

生き方・考え方・信念・優しさ・本当の強さ・本当の勇気・自分が自分自身である証明・気高さ……それらを自分の中に見つけることが、『環-cycle-』における「地図を描く」こと
なのではないでしょうか。

そしてやはりそれは、とても厳しく難しいこと。
だからこそ、価値があること。
楽や手抜きをして、本当の自分を取り戻すことなど、出来るはずがないのです。

苦しみから立ち上がり続けた先へ

何度繰り返し 繰り返し 生まれても
ここへ 迷わずに 帰れるはずだから

「還れる」ではなく「帰れる」という言葉が使われる最後のセンテンスです。

絶望の果てに堂々巡りと失敗と挫折を乗り越え、他者に寄り掛かるのではなく、自分が見つけ自分で決めた、ここだという居場所が出来た時、やっと「帰る」という言葉が、ふさわしいのでしょう。

それがしっかりと分かるまでは「還」をめぐり続けるしかありません。

しかし、その苦しみを知っている者だからこそ「帰れる」場所が見つけられるのです。

まとめ

糸奇はな『環-cycle-』は『魔法使いの嫁』という絶望と再生というテーマの色濃い作品・糸奇はなさんの幻想的な歌唱・ZABADAKによる優しくも切なく苦しくなるような楽曲・全てにおいて奇跡的なほど絶妙な融合を果たしています。

この記事をきっかけとして、糸奇はなさんの他の楽曲や、ヤマザキコレ先生の『魔法使いの嫁』の原作・そしてアニメの世界に触れられたり、個性的でありながら音楽ファンの心を捉え続けるZABADAKの楽曲に親しんでいただける方が増えたらならば嬉しく思います。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。