Cö shu Nie『Lamp』歌詞の意味を考察・解釈

震える両手で
ひとつまた抱き上げて
重たくなった一歩の先に 希望をくれ

Quasi calm. もう失いたくない
Quasi love. 繋がってたい

君が無駄だと切り捨てたものは
僕にとってかけがえがないんだ
悲しい顔で 黙ってないで
蹴り上げてやれ
滲んだ毒 掻き混ぜて 濁らすな

情けないくらい 汚れて
まだ間に合うでしょ?

Quasi calm. もう甘えたくない
Quasi love. 進まなくちゃ

越えていけるさ
暖めてくれる 一緒だから
何度でも立ち上がる
ずっと守りたい
塗り替えろ この小さな世界を
選んだ道 照らしていて
こわいなら 大丈夫

はじめに

『Lamp』とは2019年3月12日にネット上でショートバージョン公開
された楽曲です。
同年翌日にシングルリリースされ多くの人気を集めたナンバーです。
人気アニメ「約束のネバーランド」第2弾主題歌ともなっています。

同アニメ主題歌2回目を担当するCö shu Nieですが、今作もアニメ内容
に寄せて歌詞と曲が構成されています。
曲調は段々と加速して盛り上がりを見せる上昇系を特徴としています。

前作「絶体絶命」は開口一番からアグレッシブさ全開でした。
今作は薄暗い闇から段々と明るくなっていく、そんな様子を連想でき
るテイストになっていますね。

MVではタイトルである「Lamp(ランプ)」が映し出されています。
真っ暗い空間の中、メンバーが静かに演奏を始めていきます。
曲の進行と共に眩い光が闇をかき消していきます。

故に今作のテーマは「闇に指す希望」なのだと解釈しました。

タイトル『Lamp』とは

『Lamp』は発光装置や、明かりなどを指す英単語です。
MVではランタンのようなものが写しだされていましたね。
一般的にランプと聞いて容易に思い浮かべるのがランタン
かもしれません。

「Lamp(ランプ)」の周囲を照らす性能とリンクさせている
部分として「照らしていて」というフレーズがあります。
また歌詞冒頭には「希望」というフレーズが出てきます。
ですからタイトルは「明るい希望の光」だと理解できますね。

「約束のネバーランド』主題歌第1弾の「絶体絶命」の考察
記事でも扱いましたが、主人公エマの決して曇らされること
のない希望に言及しているものと思われます。

それではさらに歌詞の考察を進めていきましょう。

『Lamp』歌詞の意味

震える両手がもたらす救済

震える両手で
ひとつまた抱き上げて
重たくなった一歩の先に 希望をくれ

Quasi calm. もう失いたくない
Quasi love. 繋がってたい

今回の考察もアニメを主軸にして進行していきます。
ですからアニメや原作を一度も見ていない方のために
少しのあらすじと内容に触れておきたいと思います。

主人公であるエマは孤児院で育ち平穏な日々を過ごし
ていました。
しかしある出来事を目撃してしまい、自分たちが世話
されているのは殺されるためであったと気づきます。

エマは同じ孤児のノーマンと協力し孤児院にいる子供
たち全員の命を救おうと思考を巡らします。

孤児院に長く留まれば順番に子供たちが大人あるいは
別の存在の犠牲になっていきます。
それでも全員の命、つまり幼少期の子供の命も含めて
「全員救う」ことは困難であり足取りも重くなります。

「Quasi calm」とは「見せかけの穏やかさ」であり、
「Quasi love」とは「うわべだけの愛」を示しています。

それは孤児院での一見平穏そうな日々のことを描写し、
また生活全体を笑顔で優しく見守る(本来は見張る)
ママ・イザベラのことを描写しているのでしょう。

英語のあとに続いている「もう失いたくない」や「繋が
っていたい」とはエマたちの本心なのだと思います。

命の価値観

君が無駄だと切り捨てたものは
僕にとってかけがえがないんだ
悲しい顔で 黙ってないで
蹴り上げてやれ
滲んだ毒 掻き混ぜて 濁らすな

情けないくらい 汚れて
まだ間に合うでしょ?

この部分はノーマンとレイのやりとりのように
思えました。

普段は理性的であり無駄のない戦略家のノーマ
ンがエマの「子供全員救出計画」をOKします。
それを理解できないと否定するレイは足手まと
いになる子供を犠牲にするように勧めます。

その点が「君が無駄だと切り捨てたもの」とい
うフレーズに示されているのだと読み取れます。
ノーマンにとって子供たちの命、そして好意を
抱いているエマとその考えは大事なものでした。

「滲んだ毒 掻き混ぜて 濁らすな」とはどう
いう意味でしょうか。

例証してみるとケーキに少量の毒が入っている
ことに気づいたとします。
甘い部分が多いからといって構わず食べるでし
ょうか。

レイは裏で取引してこの危険な環境の中でやり
すごそうとしていますが、そうしたことを続け
ていると少量の毒が溜まり身を滅ぼすようにな
っていきます。

レイの良心や考えは情けないくらいに汚れてい
ましたが手遅れになっているわけではありませ
んでした。

道を照らす者達の存在

Quasi calm. もう甘えたくない
Quasi love. 進まなくちゃ

越えていけるさ
暖めてくれる 一緒だから
何度でも立ち上がる
ずっと守りたい
塗り替えろ この小さな世界を
選んだ道 照らしていて
こわいなら 大丈夫

ここでは本心の部分が別の感情で表現されています。
みせかけの穏やかさに「もう甘えたくない」、ママ
・イザベラは何も知らなければ優しく抱いてくれた
り笑顔を見せてくれます。

それでも順番がくればその笑顔や対応は偽りのもの
となります。
ですから「偽りのうわべだけの愛」から「本当の愛
」へと進まなければならないのです。

では本当の愛はどこからもたらされるのでしょうか。
それはエマが信頼しているノーマンや純粋な子供た
ちと言えるでしょう。

彼らはさまざまな面でエマを助け続けてくれます。
問題を一緒に「越えていく」強さをくれます。
問題によって傷つき冷え切った心を「暖めて」く
れます。

それ故に、年長組の中でも小さな身体をしている
エマでも何度も立ち上がることができるのです。
同時に自分を支えてくれる仲間をエマは「守り続
けたい」と本心から思うことができるのです。

そしてエマと仲間が放つ希望の光が彼らのリスク
でしかない無謀な挑戦への道を照らしていくのだ
と筆者は読み解きました。

歌詞の最後にたいへん興味深いフレーズが存在し
ますね。
「こわいなら 大丈夫」
通常であれば「もう こわくない 大丈夫」です。

通常、人であれば恐れ多いことを平然とやっての
ける悪い人たちが孤児院にはいました。
さらに特殊な環境故に子供離れした変な冷静さや
無感情を持つ子供もいます。

レイのクールさやノーマンの笑顔もそれに該当す
るのかもしれません。

それでもエマにとってそうしたものすべては不自
然であり子供本来のものではないと考えているの
だと思います。

ですから最後の一文はエマの思いであり、「こわ
い」という人が当然のものとして持ち合わせる感
情が正常に機能していることを述べたものである
と判断しました。

大人でさえ決して味わうことはないであろう環境
で子供だけで活路を見出そうとしているわけです。
恐怖を感じるのは当然のことでしょう。

それでも恐怖に打ち勝って前進し続けるのはエマ
と仲間が放つ希望の光のお蔭であることに間違い
はありません。

まとめ

絶望の闇を小さく震えた手で掻き分けるけなげで
尊い姿を垣間見ることができたのではないでしょ
うか。

今後の物語の展開がどのようなものになるのか気
になっている方も多いのではないでしょうか。

アニメの暗い部分をCö shu Nieの音楽性が一層
濃い暗闇に変えていく、そんな印象を受けました。
本当に世界観を大事にしながら自分たちの個性を
滲ませるのが上手だなと思いましたね。

Cö shu Nieの今後の活動と次回作が待ち遠しいで
すね。
まだまだ目が離せません。



 

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