バルーン『雨とぺトラ』歌詞の意味を考察・解釈~忘れ去られた街で少女が抱く感情とは~

誰かが言った いつか空は灰になって落ちるって
妄想の世の中で 日々を喰らっている
境界線を引いてしまうのも 共感覚のせいにして
街の灯の海で 居場所を探している
何処へ行くにも この足は退屈に染まって動かない
少しだけ先の景色が見たいだけなのにな
雨が降ったら きっと 頬を濡らしてしまう
枯れてしまった 色ですら 愛しくなるのに
目を瞑ったら もっと 遠く霞んでしまう
煩くなった雨の音 笑い飛ばしてくれ!
誰かが言った いつか溜息は夜に化けて歌を歌う
妄想の世の中で 日々を喰らっていろ
優しい嘘をなぞったせいで 離れる声に気付かない
溶けた月が足下に落ちて 静かに揺れていた
夜が降ったら きっと 今日を責めてしまう
満たされない 日々の底で 夢を見ているだけ
目を逸らしても ずっと 後悔と哀の隙間
取り残されてしまう前に 手を伸ばしてくれ
雨が降ったら きっと
湿るアスファルトを背に映して俯いた
独りぼっちで また 明日に期待をして
雨が降ったら きっと 頬を濡らしてしまう
枯れてしまった 色ですら 愛しくなるのに
目を瞑ったら もっと 遠く霞んでしまう
煩くなった雨の音 笑い飛ばしてくれ!

はじめに

2017年3月9日にネット上で公開されたバルーンさんの
28作目の楽曲です。
転調が少ない静かに流れる曲が多いように感じられます。
MVの独特で異彩を放つ絵はアボガド6さんが手がけています。

題名だけで視聴しようと思えるのはアボガド6さんの絵師としての
技量の高さを感じます。
また味わい深く独創的なバルーンさんの歌詞と相まって
忘れる事の決してできない名曲となっています。

タイトル『ぺトラ』の意味

「ぺトラ」とはギリシャ語で「岩」を表わしています。
合わせてヨルダンにある「遺跡」もぺトラ遺跡と呼ばれています。

ぺトラ遺跡は映画「インディ・ジョーンズ―最後の聖戦」の舞台にも
なったいる有名なところです。

しかし歴史を通じて何百年もの間「忘れ去られた都市」であったことも
事実です。

MVには寂れた街に一人の少女と猫がいるだけでその他に住人はいません。
「雨とぺトラ」の舞台がみんなから忘れ去られた街を描写していると
考えられます。

少女は常にうかない顔をしており心の奥底にはいくつもの複雑な
感情が存在しているようです。

ではこれから『雨とぺトラ』の歌詞を考察・解釈し
一人の少女の感情とぺトラを探索する旅に出かけましょう。


『雨とぺトラ』歌詞の意味

孤独の原因と追求~色の無い街で~

誰かが言った いつか空は灰になって落ちるって
妄想の世の中で 日々を喰らっている
境界線を引いてしまうのも 共感覚のせいにして
街の灯の海で 居場所を探している
「空が落ちる」とは多くの場合に中国故事のにある
「杞人憂天」に由来すると考えられています。
日本語では「杞憂に終わる」という派生語も用いられます。具体的な意味は杞の国の人が天が落ちてきたらどうしようと
「起きもしないこと」を考えつづけたという意味です。
つまり「誰かが言った いつか空は灰になって落ちるって
妄想の世の中で 日々を喰らっている」とは
生まれてからというもの人は起きもしないことを妄想し
毎日を浪費しているという意味でしょう。
「共感覚」とは特殊な知覚現象のことです。
例として色を文字で感じ取ったり音を色で表現したりと
特別な感覚を持っている人を指します。MVの少女は人と接する上で誰かと距離を置いてしまう、
そしてそれを「共感覚」のような自分は他とは
異なる特別な存在だから仕方ないと言い訳をしてしまう
ようです。少女だけでなく人の一般的傾向を表現しているようにも
感じます。

「街の灯の海で 居場所を探している」とは
結局のところ人は人々でしか生きられないことを
示唆しているようです。
一人で暗がりにいるよりも生活感のある灯りで満たされた
居場所が欲しいのです。


少女の切なる思いは雨へと溶ける

何処へ行くにも この足は退屈に染まって動かない
少しだけ先の景色が見たいだけなのにな
雨が降ったら きっと 頬を濡らしてしまう
枯れてしまった 色ですら 愛しくなるのに
目を瞑ったら もっと 遠く霞んでしまう
煩くなった雨の音 笑い飛ばしてくれ!
少女は環境をいくら変えようとしても
一人で意味もなく過ごすことに慣れてしまい
身動き取れなくなっていました。いつもとは違う人や景色を見たいのですが
それも叶わない状況が続いています。こんな不器用で意地っ張りな自分の性格が嫌で
悲しくなってきます。
今となっては「枯れてしまった」つまり良く覚えていない
思い出さえ大事に思えてきます。

思い出すことすらやめて目を瞑ったら
もう二度と思い出すことが出来なくなるのが
わかると少女の孤独は一層色濃いものになりました。

考えることがなくなるとそれまで静かに聞こえていた
雨音が少女の耳にとても煩わしく聞こえるようになりました。

どうせ今は静かにしてくれと言っても叶わないのだから
もっと激しく振り続けてこの悲惨な状況を笑ってくれと
言わんばかりになりました。

少女は感情や思考がひとときの間だけ雨音に消えたように
感じました。

降り注ぐ消極的思考が生み出した泥沼

誰かが言った いつか溜息は夜に化けて歌を歌う
妄想の世の中で 日々を喰らっていろ
優しい嘘をなぞったせいで 離れる声に気付かない
溶けた月が足下に落ちて 静かに揺れていた
夜が降ったら きっと 今日を責めてしまう
満たされない 日々の底で 夢を見ているだけ
目を逸らしても ずっと 後悔と哀の隙間
取り残されてしまう前に 手を伸ばしてくれ
少女が溜息ばかりついていたら窓の外は
夜と化していたという意味の表現かもしれません。
溜息をつくときは自分ではどうしようもない時でしょう。
少女だけでなく人はそうして時間を浪費していきます。少女が接してきた人たちの中には建前から出た「優しい言葉」を
かけてくれた人もいたのでしょう。
そのままの自分でいいよ、大丈夫だよといった類のものでしょうか。
本音ではない嘘のような言葉を「なぞった」信じた結果、
少女から離れていく人たちの背中を見てきたのでしょう。自分を照らしてくれていた希望のような存在が
今では足元に落ちて溶けてしまった月のようだと
描写しているように思えます。

夜になると少女は一日を振り返り何もできなかった、
何も変われなかった自分を酷く責めるのでしょう。

現実から目を背けて見ても「あの時ああすれば良かった」
「できなかった自分はなんて可愛そうなんだ」という
様々な感情に挟まれ押しつぶされそうな自分がいました。

少女はたくさんの人たちと仲良く過ごしているところを夢見たのでしょう。
それでも全くもって変われない自分はこのまま誰にも相手にされずに
取り残されていくのだろうと自覚します。

それでも一人ではどうしようもないことも事実で
誰かにこの自分で作り上げた泥沼から救済の手を
差しのべて引きあげて欲しいと切に願います。


止まない雨と少女の願い

雨が降ったら きっと
湿るアスファルトを背に映して俯いた
独りぼっちで また 明日に期待をして

少女はあえて乾いたアスファルトではなく
「湿るアスファルトを背に」映しています。既に自分の感情が無感覚になり過去の日々が
消えかけていることを感じています。
ですから雨に濡れることで感じる冷たさが
少女にとって感覚を刺激する手段なのかも
しれません。降り止まない雨の中、今日も少女は
自分の感覚を刺激してくれる存在を
待ちわびています。

訪問者を待ちわびて何百年も忘れ去られていた
ぺトラ遺跡のように。

まとめ

自分の居場所を探し求めることは
わたしたちが常日頃からやっていること
なのかもしれませんね。バルーンさんはこの曲に関して
「雨の日に人を待っている時に聞くといい感じになる」
とおっしゃっていました。実際そうしてみると「いい感じ」になりました(笑)

雨は本当に不思議でMVの少女のように
感傷に浸りたくなりますね。『雨とぺトラ』は街を少女の内奥の感情として考察
していくか、あるいは街と少女を区別するのかで
だいぶ解釈が変わってきます。それ以外にも解釈があると思いますが
世界観が無限に広がるまさに名曲と感じました。

バルーンさんの今後の活躍と次回作が楽しみですね。