絢香『あいことば』歌詞考察・残忍な希望を未来を明日を愛し

透明な愛言葉
今宵は
旅支度を確かめ

諦めない
1人でも大丈夫
エピローグ
抱き寄せて
離さない

私はあなたと
ずっとずっと未来を見ながら
永遠に愛します
例え 何があっても

もう一度 あの声が
もう一度 あの笑顔に会いたい

どうしてなの?
幾千の 生きる意味
神様に祈る度
繋がって

私はあなたと
ずっとずっと明日の希望を
願い続けます
例え 何があっても

私はあなたと
ずっとずっと未来を見ながら
永遠に愛します
例え 何があっても

ずっとずっときっと 希望を
ずっとずっときっと 未来を
ずっとずっときっと 明日を

透明な愛言葉


はじめに

 

絢香さん『あいことば』は、2018年11月14日発売のニューアルバム『30 y/o』に収録されている楽曲。

加えてこの『あいことば』は、東野圭吾原作、2018年11月16日公開の映画、『人魚の眠る家』主題歌として書き下ろされた楽曲でもあります。
公開されている『あいことば』のPVには『人魚の眠る家』の劇中シーンもふんだんに挿入されています。

このことからも『あいことば』という曲が『人魚の眠る家』という物語を深く汲み取っている曲であることが伺い知れます。

それでは、今回は、ゆりはるなが、絢香さんの『あいことば』の歌詞世界をじっくりと考察していこうと思います。

タイトル『あいことば』に込められた意味

まずすぐに気が付くことと言えば……タイトルではひらがな表記で「あいことば」だったものが歌詞の冒頭と最後には「愛言葉」という漢字になっています。
ここで自然ともう一つ同音異義語が浮かびますね――そう、「合言葉」です。

そして「あいことば」は「逢い言葉」と書き換えることも出来るし「哀言葉」とも書き換えることができます。

「藍」「曖」「間」……「あい」という言葉を違う漢字に置き換えるだけで、タイトルである『あいことば』は、様々な意味を持つようになっています。

『あいことば』というタイトルには、その時々の気持ちが反映される「あい」、決して変わらない想いを込めた「愛言葉」、そしてそれを「合言葉」として、新しい物語を紡いでいくための、誓いと決意が込められているかのようです。


『あいことば』歌詞考察

誰かの旅立ちの時が来て

透明な愛言葉
今宵は
旅支度を確かめ

透明な、という表現から、その言葉は、声にならない、耳に聞こえない状態が連想されます。

残された時間はあまり長くはなさそうです。

旅支度とは一体、誰がどこへ行くためのものでしょうか。
自分かもしれないし、他の誰かの旅支度かもしれません。
そしてそれは、永遠の別れを意味する旅かもしれません。

ただ、もう新しい場所へと一歩を踏み出すべき時がやってきていることが分かるのです。


物語の続きを繋ぐため

諦めない
1人でも大丈夫
エピローグ
抱き寄せて
離さない

何か1つとても大切な物語が終わってしまったことが分かります。

一人でも大丈夫という「私」にとって、それは決して小さくない痛みと傷を伴うエピローグだったのかもしれません。

しかし「私」には諦められないものがあり、そのためならば痛みも傷も全て忘れず自分の一部にして離さないと決意します。

自分が忘れない限り、想い続ける限り、物語はまだ続いていくのだと信じたい、諦めたくない、だからこそ生きるのだから、と祈るのです。

孤独の中の強い誓い

私はあなたと
ずっとずっと未来を見ながら
永遠に愛します
例え 何があっても

諦めない、1人でも大丈夫……そう言ったのは「私」ですから、「あなた」は実際にはそばにいないのかもしれません。
最悪の場合、もしかしたらもう、この世の人ではないのかもしれません。

しかし、実際にはいないとしても、「私」の中に「あなた」は確実に生きていて、存在しています。
そして「私」がこれから未来に向かうときに、一緒にそれを見ているべき人なのでしょう。

そう信じて、届かない「あなた」と自分自身へ強く誓うことだけが、「私」に何があっても愛を忘れず生きていく勇気となります。


もう、一度たりとも

もう一度 あの声が
もう一度 あの笑顔に会いたい

切なる願い、祈りの言葉。
その「もう一度」が叶うのかどうかは、伺い知れません。

いや、ここでは「せめてもう一度だけでも」という意味かもしれませんね。

「私」と「あなた」を繋ぐものは、今はもう「私」が信じ誓った決意だけになってしまったのです。

見ない祈りを見えない人へ

どうしてなの?
幾千の 生きる意味
神様に祈る度
繋がって

あらゆる人生をあらゆる人々が生きているこの世界。
出会いがあり別れがあり、出会うこともなく終わることもあり……。

偶然というべきなのか運命というべきなのか、一体こんな繰り返しに意味があるのかないのか。

人生はうまくいくことばかりでは当然なく、つまづいて悩み迷うたびに、人は「生きる意味」や「生命」に対してあまりに無力であることを思い知らされることがあります。

どうあがいても、どうしようもできないことがあるという現実に突き当たるのです。

出来ることと言えば、祈ることくらい。
しかし、その祈りは、いつか、他の誰かの生きる意味や生命の輝きに繋がり得るかもしれません。

確かに人の力は運命には歯向かえない。

そうだとしても、人は生き、祈ることをやめません。

どこかでこの祈りが、名前も知らない誰かの喜びへ繋がっていってくれるなら、祈る=生きる意味はあるのだと、信じられるからです。


繰り返すたび強くなるロゴス

私はあなたと
ずっとずっと明日の希望を
願い続けます
例え 何があっても

私はあなたと
ずっとずっと未来を見ながら
永遠に愛します
例え 何があっても

たった1人の旅立ちに際して、「明日の希望」を望むことは、「私」にとっては既にとても難しい状況であるはずでしょう。

散りばめられたのは、まるで結婚式における「誓いの言葉」のようなロゴスです。
そこに「あなた」がいて、優しく微笑んで「私」と抱き合っていたならは、これらの言葉はどれほど容易く、聞く者に幸せと希望を感じさせてくれるでしょうか。

しかし、これはただの言葉ではなく、「あなた」を失った「私」が見出した祈りと誓いと決意なのです。

誰に聞かせるでもない「私」の中だけに生まれた強い想いなのです。

「あいことば」という、一番むごいものを背負う

ずっとずっときっと 希望を
ずっとずっときっと 未来を
ずっとずっときっと 明日を

透明な愛言葉

希望・未来・明日……。

こんな小気味よく聞こえる言葉が、時として、人の心を刃でえぐり取り、裏切り、絶望へと追い込むような残酷さをはらんでいることがあります。

希望・未来・明日。

そこにはなんの確証もなく、なんの裏付けもないのです。
信じて亡くしたが最後、生きながらにして地獄に落とされるかもしれない。

だからこそ、安々と口にしていい言葉ではなく、本当は、一番みじめでむごくて残忍な言葉なのかもしれません。

「私」は「あなた」と一緒に見ようと願った希望・未来・明日を、既に失くしています。

しかし「私」の心は、既に自分ではなく「あなた」へと向かい始めています。

きっと「あなた」が見たかっただろう、愛したかっただろうものを、「私」は「あなたという物語のエピローグ」を一生抱え続けながら、愛し続けることを誓います。

本当は残酷な希望・未来・明日を恐れず、「あなたが生きていたこと」だけを「愛言葉」=「合言葉」として「あなた」へと、まだ見ぬ全てへと捧げ続て生きていくのです。

たとえその「あいことば」が、「あなた」のいる場所では、透明でしかないとしても。

まとめ

絢香さんの『あいことば』は、映画『人魚の眠る家』の物語との繋がりを強く感じさせながら、「生命とは」「生きる意味とは」「人が最後に持つべき誇りとは」を問い、また、絶望の中で見出された祈りと光を強く歌い上げています。

『あいことば』を聴きながら、ふと、もし自分にこんな別離が訪れたら、『あいことば』に書かれたように強くあれるのだろうか、と自問自答してしまいました。

絢香さんの『あいことば』は、こうやって、聴いた人それぞれが、別離や生命について真剣に考え自分に問うことがとても大事だと思わせてくれる曲です。
この記事で、皆さんが『あいことば』に込められた大事なメッセージをそれぞれに考えるお手伝いが出来れば幸いに思います。

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



この記事をシェアする!