あいみょん『生きていたんだよな』歌詞の意味を考察・解釈

二日前このへんで
飛び降り自殺した人のニュースが流れてきた
血まみれセーラー 濡れ衣センコー
たちまちここらはネットの餌食


「危ないですから離れてください」
そのセリフが集合の合図なのにな


馬鹿騒ぎした奴らがアホみたいに撮りまくった
冷たいアスファルトに流れるあの血の何とも言えない
赤さが綺麗で綺麗で


泣いてしまったんだ
泣いてしまったんだ
何にも知らないブラウン管の外側で


生きて生きて生きて生きて生きて
生きて生きて生きていたんだよな
最後のサヨナラは他の誰でもなく
自分に叫んだんだろう


彼女が最後に流した涙
生きた証の赤い血は
何も知らない大人たちに2秒で拭き取られてしまう
立ち入り禁止の黄色いテープ
「ドラマでしかみたことなーい」
そんな言葉が飛び交う中で
いま彼女はいったい何を思っているんだろう
遠くで 遠くで
泣きたくなったんだ
泣きたくなったんだ
長いはずの一日がもう暮れる


生きて生きて生きて生きて生きて
生きて生きて生きていたんだよな
新しい何かが始まる時
消えたくなっちゃうのかな


「今ある命を精一杯生きなさい」なんて
綺麗事だな。
精一杯勇気を振り絞って彼女は空を飛んだ
鳥になって 雲をつかんで
風になって 遥遠くへ
希望を抱いて飛んだ


生きて生きて生きて生きて生きて
生きて生きて生きていたんだよな
新しい何かが始まる時
消えたくなっちゃうのかな


生きて生きて生きて生きて生きて
生きて生きて生きていたんだよな
最後のサヨナラ他の誰でもなく
自分に叫んだんだろう


はじめに

『生きていたんだよな』はネット上で2016年11月30日に投稿された楽曲です。
ドラマ「吉祥寺だけが住みたい街ですか?」オープニングテーマ曲ともなっています。

ドラマの内容は比較的ゆったりと進行していくのに対しこの曲のテーマが「自殺」という非常に強烈なインパクトを残しています。
あいみょんさんご本人が年始早々に見た投身自殺のニュース報道も作曲に至るきっかけになったようです。

当時は賛否両論となっていましたが現在再生回数1,200万を超えていることから
非常に多くのリスナーが考えさせられ興味を持ったことがうかがえます。

特筆すべきはメジャーデビューシングルにこの重たい社会問題を巻き起こしそうな論題を提起した点です。
あいみょんさんご本人が自殺を推奨するわけでも誰かを批難したいわけでもない旨を
インタビューなどで述べていました。

死生観について熱く語られた歌詞をクールに歌い上げるあいみょんさんのギャップにも注目できます。

タイトル『生きていたんだよな』とは

あいみょんさんは最近こうした事件を見ても生前のことをあまり考えない
人が増えている点に触れてこうしたタイトルをつけたかったそうですね。
あいみょんさんが飛び降りた女性に向けて「飛び降りて亡くなる前は生きて
いたんだよな」といった感じです。

同時にこの曲は歌い手の自分や野次馬、また自殺した人を主体にして歌詞
を書いていないことも述べていました。

ですから今回の考察でも特定の人物を主体にしてすべての解釈を見出すこと
は避けたいと思います。
様々な人の観点からいろいろな感情を導き出すように筆記していきます。


『生きていたんだよな』歌詞の意味

生きていない少女を見た生きている少女

二日前このへんで
飛び降り自殺した人のニュースが流れてきた
血まみれセーラー 濡れ衣センコー
たちまちここらはネットの餌食

前述でも記載しましたが恐らく2017年が始まった頃すぐに
あいみょんさんが目撃したニュース報道に触れているのでしょう。
報道内容はセーラー服を着た女学生が投身自殺したという内容です。

「濡れ衣センコー」と表現されている点から学生自ら選んだ選択で
あっても学校側に責任が問われるという事実を伝えています。

「ネットの餌食」という表現から世間がこの悲しい事実を共に悔やむ
というより「ネタ」にするであろうという考えを示唆しています。

こういった事件の場合、親身になって駆け付けるのは救急隊員か遺族
であって記者などの報道陣は「仕事モード」に入ってしまうものです。
ある意味で仕方のない部分もありますがそれになれてしまうと人間は
大事な感情の欠落に至ってしまうようにも思えますね。


たくさんの目―様々な視野

「危ないですから離れてください」
そのセリフが集合の合図なのにな

馬鹿騒ぎした奴らがアホみたいに撮りまくった
冷たいアスファルトに流れるあの血の何とも言えない
赤さが綺麗で綺麗で

泣いてしまったんだ
泣いてしまったんだ
何にも知らないブラウン管の外側で

救急隊員や警察の目は周囲を見まわし
「危ないですから離れてください」と 気遣います。
「危ない」の一言は周囲の人々に「スリル」を与え
落とされた砂糖に群がるアリのように集まってきます。

野次馬の大半が馬鹿騒ぎして何度も悲惨な事故現場を
携帯で撮影したのでしょう。
普通の道徳観・倫理観を持っているならば死体や流れ出す
血に目を背けるかもしれません。

しかし野次馬の様子から彼らの目には「物珍しい絵の具」が
垂れ流されているようにしか見えないのでしょう。
あいみょんさんはテレビの前で血の綺麗さが生きていた証拠
のように見え涙を流したのです。

もう聞こえないあなたに叫びたい

生きて生きて生きて生きて生きて
生きて生きて生きていたんだよな
最後のサヨナラは他の誰でもなく
自分に叫んだんだろう

あいみょんさんはテレビの前で血を流した女学生に
何度も「生きて」を繰り返します。
女学生の命の貴さそして儚さを胸いっぱいに噛みしめ
声限りに叫んでいるようです。

多くの場合、人は死ぬ前に遺言を残して「さよなら」を
遺族に伝えるものです。

しかしあいみょんさんは女学生の立場になって思考を
巡らした結果「最後のサヨナラ」が本人に向けられた
ものであると結論しました。
そう思うと一層いたたまれない気持ちになりました。


命が軽視される現代社会

彼女が最後に流した涙
生きた証の赤い血は
何も知らない大人たちに2秒で拭き取られてしまう
立ち入り禁止の黄色いテープ
「ドラマでしかみたことなーい」
そんな言葉が飛び交う中で
いま彼女はいったい何を思っているんだろう
遠くで 遠くで
泣きたくなったんだ
泣きたくなったんだ
長いはずの一日がもう暮れる

彼女の涙や生きた証である血は警察たちの手によって
2秒で拭き取られてしまいました。
この点から警察の「手慣れた動作」に言及していると
読み取れます。

経験を積んだ警察官が「また飛び降りか」と事件を
一蹴することもあるのでしょうか。
これも仕方のない点かもしれませんが毎回の現場で
祈ってから処理に入る警察官もいないでしょうから。

それでも女学生の命「何十年」が数秒で拭き取られてしまう
ことは「命の軽視」を描写しているのかなと感じました。

続く部分では立ち入り禁止の黄色いテープを見た野次馬が
「ドラマでしかみたことなーい」と呑気な発言をしています。
現実を直視できたことを喜んでいるようにも見受けられます。

こうした反応を亡くなった女学生が見ていたらどう感じるの
だろうかとあいみょんさんは自問しています。

あいみょんさんは現場にいるわけではなくテレビの前にいます
から女学生の「遠く」で泣いていると表現しています。

生きることに疲れてはいけない

新しい何かが始まる時
消えたくなっちゃうのかな

「今ある命を精一杯生きなさい」なんて
綺麗事だな。
精一杯勇気を振り絞って彼女は空を飛んだ
鳥になって 雲をつかんで
風になって 遥遠くへ
希望を抱いて飛んだ


「新しい何かが始まる時」という興味深いフレーズが出てきます。
女学生にとって「学年やクラスが変わる」ことを示唆している、
または受験シーズンに移行したのかもしれません。

そのような状況の変化が生じると人は「消えたくなる」つまり
命を絶ちたくなってしまうのかなとあいみょんさんは考えます。

そう考えると親や先生の言う「今ある命を精一杯生きなさい」なんて
綺麗事だと思えてしまったのでしょう。
全力を出して生きるのに疲れて命を絶つのならそこになんの意味が
あるのだろうと問う歌詞になっています。

追い詰められた女学生は自分の力で飛ばない鳥になることを切望
したのでしょう。
乱気流の力を借りて上昇し雲をつかみ風になって自由になること
を普段から思い描いていたのかもしれません。

そうした明るい希望は高い所から飛ぶという暗い事故へと形を変えて
しまいました。

「自由に生きていたい」
そんな希望を胸に抱いて

まとめ

何度も述べますが「重い」の一言に尽きます。
ベース音が目立った曲以上にテーマで重厚感を出している
そんな印象を受けました。

そして音楽なのかニュースコラムを読んでいるのかわからなく
なる心境です。

この曲を通して多くのリスナーが命を重んじることや深く考える
ことを再認識させられたのではないでしょうか。

事件が起きたすぐあとにではなく何年か経って冷静に歌詞を熟読し
この曲と向き合ったことでこうした考察記事を書くことができました。
筆者自身も命を尊び重んじ決して粗末にしないようにしたいと思います。

あいみょんさんはこれからも他のアーティストが取り上げないような
題材で多くのリスナーに影響を与えていくことでしょう。

今後の活動にも注目していきたいと思います。