BUMP OF CHICKEN 歌詞『銀河鉄道』に「時速200km」が多用されている理由とは

電車の窓はガタガタ鳴く 生きた街を遠ざける
見送る人も居なかった僕の 生きた街を遠ざける

知っている景色と 知らない景色が
僕を騙すように いつの間にか 入れ替わる

僕の体は止まったままで 時速200kmを超えている
考える程に 可笑しな話だ 僕は止まったままなのに

こんなに可笑しな事 黙っちゃいられない
そう思って間もなく ひとりだったって 思い出す

誰もがそれぞれの 切符を買ってきたのだろう
今までの物語を 鞄に詰めてきたのだろう

リボン付きのクマが転がって来る 迷ったけど拾ってやる
同時に女の子が駆け寄って来る 僕を見て怖じ気付く

後悔した僕からクマを奪うと 礼も言わず逃げていく
もういいや 寝ようかな シートを倒す 後ろから舌打ちが聴こえる

聴こえない振りをして 保たれかかって
目を閉じてみたけど 気になるから 眠れない

誰もがそれぞれの 切符を買ってきたのだろう
荷物の置き場所を 必死で守ってきたのだろう

人は年を取る度 終わりに近付いていく
動いていない様に見えても 確かに進んでいる

自転車を漕いで手を振る人 見送りたい人が居るのだろう
相手を想うならやめてやれよ ちょっと恥ずかし過ぎるだろう

僕の体は止まったままで あの自転車を遠ざける
本当はとても羨ましかった 僕は止まったままだから

役には立てないし 邪魔はしちゃうし
目を閉じてみたけど 辛くなるから 目を開けた

真っ赤なキャンデイが差し出されている 驚いたけど貰ってみる
笑った女の子が席に戻る 誰にも知られず僕が泣く

電車の窓はガタガタ鳴く 生きる街を近付ける
出迎える人も居ないであろう僕の 生きる街を近付ける

誰もが それぞれの 切符を買ってきたのだろう
今までの物語を 鞄に詰めてきたのだろう
荷物の置き場所を 必死で守ってきたのだろう
これからの物語を 夢に見てきたのだろう

人は年を取る度 始まりから離れていく
動いていないように思えていた 僕だって進んでいる

今回ご紹介する曲は、シングル「プラネタリウム」のカップリング曲である「銀河鉄道」です。

銀河鉄道と聞くと、宮沢賢治の名作や松本零士の名作SFマンガを連想しますよね。これらの作品の世界にも通ずるようなファンタジー色の強いこの曲ですが、聴いているとちょっと「んっ?」と引っ掛かるフレーズがあります。

それが「時速200km」という具体的な速度表示です。


歌詞考察

「時速200km」ってどのくらいの速さ?

僕の体は止まったままで 時速200kmを超えている

考える程に可笑しな話だ 僕は止まったままなのに

このフレーズは、曲中ではこのように登場します。

ちなみに、時速200kmがどのくらいの速さなのでしょうか(やや鉄ヲタ臭い話にしばしお付き合いください)。

N700系東海道新幹線の東京~新大阪間が515kmで、これをおよそ2時間20分で走ります。これを平均速度に換算すると、およそ220km/hということになります。まぁ皆さんお分かりの通り、時速200kmイコール新幹線の速さですね。


人生とは孤独な旅である

電車の窓はガタガタ鳴く 生きた街を遠ざける
見送る人も居なかった僕の 生きた街を遠ざける

知っている景色と知らない景色が
僕を騙すようにいつのまにか 入れ替わる

曲全体が人生を鉄道の旅になぞらえた暗喩になっているこの曲の冒頭では、まさしく「僕」の旅立ちが描かれています。

「生きた街を遠ざける」から、僕は自分を育てた街を捨てて新たな世界に生きることを決意したということが分かります。

見送る人もいないというのはどこか寂しい気もしますが、この曲が人生を鉄道の旅に例えていることを踏まえれば、人生とは孤独な旅であると言えそうです。

生まれるのも一人、死ぬのも一人、そして、何かを決意するのも一人。その時に近くに大切な人がいたとしても一人であることに変わりはないのです。このフレーズは、そんな人生の孤独さを端的に表していると言えます。

そして、続くフレーズでは、移り行く車窓が

見慣れた世界➡新しい世界

へのスイッチとなっています。

自分は一人だということの再確認

僕の体は止まったままで 時速200㎞を超えている
考える程に可笑しな話だ 僕は止まったままなのに

こんなに可笑しなこと黙っちゃいられない
そう思って間もなくひとりだったって思い出す

確かに、時速200kmで走っている列車に乗っていれば、自分の体も動いているはずです。しかし実際は、座席に座った状態で目的地まで運ばれていくわけです。その時に「あぁ、今自分は時速200kmで動いているなぁ」と体感している人などいません。動いているはずなのにです。

この違和感に気づいた僕は、この小さな発見を誰かに話したくなりますが、そんなときに限って話す相手がいないものです。

話を聞いてほしいときに聞いてくれる人がいない、まさに自分が今一人であるということを強く実感した瞬間です。


「時速200km」がもたらす意味

そもそも、ファンタジーの世界には本来具体的すぎる数値やデータは不要なはずです。

ですが、ここであえて新幹線を連想させるような具体的な速度表示を持ってきたのは

この曲を単なるファンタジーに留まらせず、現実世界の物語として描こうとしたから

と考えられます。

もし歌詞中に現実味のある表現が全くなかったら、それこそ銀河に向かって光速で突っ走る列車を想像することもできます。しかし、ここに敢えて現実味を持たせることで、リスナー一人ひとりに、自分自身の問題として捉えてもらおうとしたのではないか、と考えられます。

乗客それぞれに人生という物語がある

誰もがそれぞれの 切符を買ってきたのだろう
今までの物語を 鞄に詰めてきたのだろう

僕に人生という物語があるように、他の乗客にもそれぞれ人生があり、背負うものがあり、物語があります。

僕と同じように住み慣れた街を離れて新しい世界に飛び込もうとしている人、愛する人に会いに行く人、愛する人と別れ行く人。単なる旅行の人もいるかもしれない。でもその旅行が自分探しかもしれないし、傷心旅行かもしれない・・・。

たまたま同じ車内に乗り合わせただけの赤の他人ですが、こうやって見ると様々な人間ドラマが見えてきます。


世間の冷たさ⇔ふとした瞬間に感じる人の温かさ

リボン付きのクマが転がってくる 迷ったけど拾ってやる
同時に女の子が駆け寄ってくる 僕を見て怖気付く

後悔した僕からクマを奪うと 礼も言わず逃げていく
もういいや寝ようかな シートを倒す
後ろから舌打ちが聴こえる

僕らはお互いにたまたま乗り合わせただけの他人に過ぎませんから、相手に何の思い入れもありません。それどころか、皆自分の人生を生きることに精いっぱいで、他人を気遣っている余裕などありません。

これから見知らぬ街で一人で生きていく僕は、この出来事によって「これから先出会う人みんな冷たいのかな?」と大いに不安になったことでしょう。

聴こえない振りをして もたれかかって
目を閉じてみたけど 気になるから眠れない

誰もがそれぞれの 切符を買ってきたのだろう
荷物の置き場所を必死で守ってきたのだろう

ここでいう「荷物」は、各々が背負うものや、今まで歩んできた軌跡を詰め込んだものとして描かれています。

そして、それを守るのに必死であるということは、自分の人生を他人に邪魔されたくない!という気持ちの表れであると考えられます。

自転車を漕いで手を振る人 見送りたい人が居るのだろう
相手を想うならやめてやれよ ちょっと恥ずかし過ぎるだろう

僕の体は止まったままで あの自転車を遠ざける
本当はとても羨ましかった 僕は止まったままだから

役には立てないし 邪魔はしちゃうし
目を閉じてみたけど 辛くなるから目を開けた

真っ赤なキャンディが差し出されている 驚いたけど貰ってみる
笑った女の子が席に戻る 誰にも知られず僕が泣く

世間の冷たさや自分の孤独さをしみじみと感じながら、ふと目をやれば、誰かを見送ろうとして一生懸命自転車を漕いで手を振る人の姿が見えました。

この見送る人と見送られる人は、実は「車輪の唄」(アルバム「ユグドラシル」収録)に登場する男の子と女の子で、この曲で再登場するというユニークな仕掛けになっています。

さて、この光景を目にした僕は、自分がされたら恥ずかしくて嫌だなと思いつつ、本当はとても羨ましかったのです。いわばないものねだりです。

その羨望とはつまり、見送る人もいない僕と違い別れを惜しんでくれる人がいることへの羨望もそうですが、止まったままで進んでいる僕に対して、全身全霊で追いかける何かがある自転車の人への羨望でもあったことでしょう。

それに比べて自分は、誰かに必要とされている実感はないし、むしろ(先ほどの一連の出来事のように)人に嫌な思いばかりさせてしまう。考えれば考えるほど辛くなっていく僕を救ったのは、意外にもさっき僕を見て怖気づいたあの女の子だったのです。

自分の物語を生きるのに必死で、他人を気遣う余裕がないように思えた人が、ふと自分に見せてくれた優しさ

これが僕をどれだけ慰め、不安でこわばっていた心を優しくほぐしてくれたことでしょう。

いよいよ新しい人生のスタート!

電車の窓はガタガタ鳴く 生きる街を近付ける
出迎える人も居ないであろう僕の 生きる街を近付ける

さっきは「生きた街を遠ざけ」ていたのが、今度は「生きる街を近づけ」ています。

これから自分が新たなスタートを切る街(人生の舞台)がいよいよ近づいてきているのです!

誰もがそれぞれの 切符を買ってきたのだろう
今までの物語を 鞄に詰めてきたのだろう
荷物の置き場所を 必死で守ってきたのだろう
これからの物語を 夢に見てきたのだろう

これまでの淡々とした語り口から一転、Vo.藤原のエモーショナルな叫びが炸裂します。

僕にとってこの旅がどれほど重たい意味を持っていたかがよくわかります。

僕だけでなく、人には人それぞれの人生があり、物語があり、背負うものがあります。

そんな、当たり前だけど、だからこそ忘れがちな大切なことに、僕はこの旅を通じて気づいたのです。

最終的にたどり着くゴールは皆同じ、その過程にそれぞれの物語がある

人は年を取る度終わりに近づいていく
動いていないように見えても 確かに進んでいる

人は年を取る度 始まりから離れていく
動いていないように思えていた 僕だって進んでいる

列車に乗って移動しているとつい忘れてしまいますが、僕たちは動いていないように思えて進んでいるのです。

これは、鉄道旅なら物的な移動ということになりますが、人生で考えれば、時間的な移ろいであると言えます。つまり、毎日毎日何気なく暮らしている中で、確実に僕たちはあるゴールに向かって進んでいるのです。

そのゴールとは、すなわち「死」です。

こう言うと身も蓋もありませんが、避けられない事実なのです。しかしこれはネガティブなことではなく、むしろ終わりがあるからこそ、その過程(旅路)に色を付けられるのです。

我々がいつか死ぬということは誰だって一緒で、その過程にこそ、百人いれば百通りの物語があるのです。

そして、これが避けられない現実のことだからこそ、現実味を持たせる表現が必要で、それが「時速200km」だったのかもしれません。

最後に

この曲を聴くといつも「自分らしい生き方って何だろう」と考えます。それが多少リスクを伴うものだったとしても、死ぬ間際になって後悔するぐらいなら自分らしい生き方をした方がいいと思います。

私もまだまだ模索中ですが、迷ったときはこの曲を聴いて自分を奮い立たせています。皆さんにとっても、この曲が自分の人生について改めて考えるきっかけとなってくれたら幸いです。