BUMP OF CHICKEN『Hello,World!』歌詞の意味・考察と解釈



表題曲は2015年4月22日に両A面シングルとしてリリースされた「Hello,world! / コロニー」
のうちの1曲で、TVアニメ「血海戦線」の主題歌です。

この曲は、毎日毎日満員電車に揺られながら、特に変わり映えのしない退屈な毎日を精いっぱいに生きる、そんなすべての人たちに向けたBUMP流応援歌になっています。

ただ、歌詞がやや難解なため、ちょっと聴いただけでは「?」となってしまう方も多いのではないでしょうか。

というわけで今回は、この曲の歌詞が少しでも多くの方に届くように、私なりに歌詞の考察をしていきたいと思います。

タイトルに込められた意味


まずタイトルですが、直訳すると「こんにちは、世界!」ですよね。

しかし、プログラミングに通じている方なら分かると思いますが、これはプログラミング用語の一つで、最初に習うプログラミング、いわば基礎にあたるのがこの「Hello,World!」です。つまり、ここからプログラミングの世界が始まっていくのです。

そして、プログラミングの世界の入り口が「Hello,world!」であるように、私たち一人ひとりの人生の入り口もまた「Hello,World!(こんにちは、世界)」なのではないでしょうか。

忙しさに追われてただぼんやりと毎日を生きていると、私が何者で本当は何を望んでいてどう生きたいのかをつい忘れてしまいがちですが、そんな時こそ私たち一人ひとりが世界とつながった瞬間に立ち返ってみるべきであると、このタイトルは私たちに投げかけています。

まさに、人生における「初心忘るべからず」ということです。

僕らはいつだって迷子


扉 開けば 捻れた 昼の夜
昨日 どう やって 帰った 体だけが 確か
おはよう これから また 迷子の 続き
見慣れた 知らない 景色の 中で


この時実際にVo,藤原さんは酔っぱらっていたという逸話もありますが、昼夜逆転の生活ぶりや、帰宅手段(電車?タクシー?)すら覚えていないことを表すこれらのフレーズは、記憶がなくなるまで酔っていた様子を歌っているように聴こえます。

そして、ベロベロに酔っぱらった次の日には、またいつもと同じ日常がやってくるわけです。

自分の人生がどこに向かっているのか、まったくわからないけれど取り敢えず生きている。

酒の力で一時的に忘れていた「自分は迷子である」という事実に、また直面せざるを得なくなったのです。

もう 駄目って 思ってから わりと 何だか やれている
死に きらないくらいに 丈夫 何か ちょっと 恥ずかしい

やる べき ことは 忘れていても 解る
そう しないと とても 苦しいから


生きていると「もう駄目」って思うほど辛いこともあります。

しかし、それでも踏ん張れている自分もいます。

それを「誇らしい」ではなく「恥ずかしい」と表現する辺りが実にシニカルです。つまり、まだやれるのに簡単に弱音を吐く自分のことを、こう言っているのでしょう。

では「もう駄目」と思いながらそれでも頑張れてしまう原動力は何なのでしょう?

その答えはズバリ、それをやらないでいると苦しいからです。

「勉強嫌だな」「仕事嫌だな」と言いつつも、だからと言って何もしないでいるのもそれはそれで辛い。つまり、どう転んでも苦しいことに変わりはないのです。

自分の人生を誰かに委ねるのはもうやめよう!


選んだ 色で 塗った 世界に 囲まれて
選べない 傷の 意味は どこだろう

ご自分だけが ヒーロー 世界の 真ん中で
終わるまで 出突っ張り ステージの 上

どう しよう 空っぽのふりも出来ない
ハロー どうも 僕は ここ


そもそも今の自分がいるのは、単なる偶然のように見えて、自分自身が下してきた選択の連続なのです。

進学先を選んだのも、就職先を選んだのも、住む場所を選んだのも、誰かと付き合ったのも別れたのも、全部自分!

自分の世界に色を付けてきたのは自分なのに、どう色を付けても何かしらの傷はつきます。しかしそれをいちいち他人や環境のせいにしていてはキリがありません。

つまり、この人生の主人公(ヒーロー)は他でもない自分自身であり、終わる(死ぬ)まで「自分」というステージで演じ続けなければいけないのです。

また、主役だけでは物語が成立しないように、人生という物語にも、華を添えてくれる誰かが必要になってきます(もちろん、その「誰か」の人生の主人公はその人になるわけですが)。

だからこそ、自分という存在を誰かに知らせるために叫ぶのです。「僕はここにいる」と。

見ているようで見えていないもの


覚えてしまった感覚 思い出とは違う類
もっと涙の側にあって いつも心臓掴まれていて
充分理解出来ている ずっとそれと一緒
そうじゃないと 何も見えないから


ここでいう「感覚」とは、何か胸を締め付けられるような強烈な感情のことであると私は解釈しました。誰かに恋をしたり、大切な人を失ったり、誰かのために喜んだり悲しんだり・・・。

そして、「それ」が直前のものを指していると考えると、「それ」イコール「心」となり、「心」と常に一緒じゃないと何も見えないと歌っています。

さて、物を見るのは目であるはずなのに、なぜ「心」がないと何も見えないのでしょうか?

それは、目で見えている世界と心で感じている世界は違うからです。

例えば、昨日の晩飯は忘れても、大切な人との記念日のディナーは覚えていますよね。それこそが、「心」が介在しているか、単に毎日の食事の一つとして片づけられるかの違いであり、目で見ているものはどちらも同じ晩飯なのにこうも違うのです。

だからこそ、日常の様々なことを「心」で見るようにしないと、ただ見えているだけで、何も見ていないことになってしまうのです。これでは人生がとても味気ないものになってしまいます。

さぁ今こそ、自分を奮い立たせるとき!


さて、前半部でずっとモヤモヤした感情が渦巻いていたのが、後半のブリッジ部から連続サビにかけて、怒涛の鼓舞が始まります。

叫ぼう そこから どうも 僕はここ

さあ 目を開けて 君は強い人
その目が見たから 全ては生まれた

塞いだ耳で聴いた 虹の様なメロディー
砕けない思いが内側で歌う
悲鳴をあげたヒーロー 世界の真ん中で
終わるまで出突っ張り 自分が見ている
だからもう 死んだふりも意味ない

ハロー どうも 僕はここ


見えているのに見ないふりをしてきたもの、聴こえているのに聴こえないふりをして耳を塞いできたもの、そして気づいていないふりをしてきた自分の存在価値・・・。

そんなことをいつまで繰り返しているんだ!とリスナーに発破をかけるような力強いメッセージが並びます。

誰だって見たくないものと向き合うのは怖いものです。しかし、しっかり目を開いて見なければ自分の生きる方向性は見えてきません。

世界と断絶するために耳を塞いでも、それでも内側で鼓動が鳴っているのが聞こえる限り、自分という世界からは逃れられないのです。

そして、自分の心が震える何かに気づけたなら、その心の目で世界としっかり対峙していかなければなりません。もう「死んだふり(自分からの逃避)」はやめよう!

そしてもう一度声高に叫ぶのです。「僕はここにいる」と。




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