[40㍍P/GUMI『シリョクケンサ』歌詞の意味・解釈と考察]

見えるものだけが正義とは限らない

今回は、感情を揺さぶるようなフレーズを作る名手・40㍍Pが手がける「シリョクケンサ」の歌詞解釈をしていきます。

出だしから疾走感のあるシリョクケンサは、フレーズによく耳をすませながら聴くのがオススメ。

まっすぐな恋心がダイレクトに伝わってくるシリョクケンサですが、どんなメッセージが込められているのでしょう?


すれ違う二人の距離感をシリョクケンサにたとえている

隠した方の左眼に
どんな僕を映し出すの
開いた方の右眼だけじゃ
本当の僕は見えないでしょ


シリョクケンサ 二重線の僕が 悪戯に微笑む
忘れないで 君の中に 偽物の僕がいる


指さしで教えてよ
君の眼には見えてるんでしょ
僕の心の隙間が
ぼやけて見えるのなら
目を閉じて構わないから
君が思うままに


正しく僕を愛せるように
君の眼を 正したくて
使い古したその グラスじゃ
本当の僕は見えないでしょ


シリョクケンサ 消えかけの僕が 悲しげに微笑む
忘れないで 君の中に 本当の僕がいる


目に映るものだけを
信じることしかできない
僕も君も同じだ
だからこそ今だけは
その心に焼き付けてよ
君が知らない僕を


少しずつ見えなくなった
あの頃は見えた景色
変わったのは君のほうか
それとも自分のほうか


指さしで教えてよ
君の眼には見えてるんでしょ
僕の心の隙間が
ぼやけて見えるのなら
この胸に手を当て
君に伝えるから
本当の僕を

私が思うにシリョクケンサは恋に臆病になっている相手を好きになった人が、なんとかこちらを向くように仕向ける曲に聞こえます。

たとえば、

隠した方の左眼に
どんな僕を映し出すの
開いた方の右眼だけじゃ
本当の僕は見えないでしょ
シリョクケンサ 二重線の僕が 悪戯に微笑む
忘れないで 君の中に 偽物の僕がいる

シリョクケンサにたとえて相手と自分の恋に対する想いのギャップを浮き彫りにしているフレーズ。

相手は「恋をするのが怖い(もしくはしたくない)」ので、片方の目で恐る恐る「僕」をみている。

言ってしまえば「あなたもどうせ裏切るのでしょう?」というマイナスイメージを持って僕に対して接しているのが、僕にはわかるのでしょう。

「あなたがみている僕の姿は偽物だよ!もっとちゃんとみて欲しいんだ」そんな切なる恋心が最後のフレーズに込められています。

指さしで教えてよ
君の眼には見えてるんでしょ
僕の心の隙間が
ぼやけて見えるのなら
目を閉じて構わないから
君が思うままに

僕はちゃんと自分のことを知ってもらいたいものの、強要はしません。

なぜならまっすぐ想い続けていれば相手の心に届くはずだ、そう思っているからです。

「僕が思っていること、少しなりでもわかるでしょう?まっすぐ見るのが怖いなら、まだ目を背けていたっていいんだよ。ゆっくりでいいんだよ」

優しくて芯のある愛情がフレーズ後半部であふれています。

恋は盲目なんて言葉もあるくらい、人は人を好きになると自分本位になってしまいがち。

シリョクケンサは献身的な愛情がいかに大切かを教えてくれているような、深みもあります。

君の眼を 正したくて
使い古したその グラスじゃ
本当の僕は見えないでしょ

好きな相手に対して「待つ」姿勢を持ちながら、やはり本音は「好きになって欲しい」というところ。

私は相手に対する歯がゆい気持ちを眼鏡にたとえていると受けました。

いつまで殻にこもっているつもりなんだい、出ておいでよ、全部受け止めるからさ。

どこまでも広い心を持って、相手と接しているのが歌詞の「僕」。

恋に対して疑心暗鬼でこれからどうしていこうか、と思い悩む相手。

二人の微妙な距離感が表されています。

どうしても心は覗けないからこそ、不安

シリョクケンサ 消えかけの僕が 悲しげに微笑む
忘れないで 君の中に 本当の僕がいる
目に映るものだけを
信じることしかできない
僕も君も同じだ
だからこそ今だけは
その心に焼き付けてよ
君が知らない僕を

「僕」は必死に相手の心に訴えかけているのですが、なかなか想いが届きません。

再度「あなたに対する僕の本当の気持ちはわかっているでしょう?」と相手に問いかけるようなフレーズです。

ただ、目で見て感じたことしか信じられない気持ちも十分わかるよ、と相手の思っていることを認めてあげるようなメッセージも込められています。

人は信用を得るために行動します。

言葉だけでは信じきれないのが本音。

「僕」は理解していながらあえて、言葉にして伝えているのでしょう。

本当に相手のことが好きで、相手にちゃんと伝わって欲しいからだと思います。

シリョクケンサの歌詞を見て思ったのは、どうして心って透かして見ることはできないのか?ということ。

悲しい気持ちも、嬉しい気持ちも、怒りも、全部心が透けていたら相手をもっと思いやることができるはず。

見えたら見えたで、厄介かもしれませんが。

シリョクケンサの歌詞でいうなら「僕」の心の本気度が計り知れるのになあ、報われないなあ、と。

いまいち相手からの反応が悪くても「それでも好き」と胸を張っているような僕の心情が、まぶしく感じられます。

私だったらそこで諦めてしまいそうなものの、僕は相手でなくちゃダメだからこそ、折れない。

青春ドラマの一ページを見ているような気分にさえなる。

曲の最後の最後まで甘酸っぱい感情でいっぱいになるシリョクケンサです。

少しずつ見えなくなった
あの頃は見えた景色
変わったのは君のほうか
それとも自分のほうか

完全に余談ですが、幼い頃に見ていた空の青色と、大人になってから見る青色は微妙に濃さが違うそうです。

どこかの書籍で得た情報ですが、シリョクケンサではそんなことを語っているような気もしました。

「相手をひたすら信じる、愛を与え続ける」スタンスの僕がかつてはそうでなかったのか、もしくは相手が過去に受けた傷によって変わってしまったのか。

問答を繰り返すようなサビ前のフレーズが、一番お気に入りだったりします。


目に見えないものすら見えるようになったなら


純情を形にするなら、きっとこの曲になる

指さしで教えてよ
君の眼には見えてるんでしょ
僕の心の隙間が
ぼやけて見えるのなら
この胸に手を当て
君に伝えるから
本当の僕を

曲の最後はこちらのサビで締めくくられています。

片目でしか見えていない(=自分主体の考えしか持てていない)相手に対して、「こんな考え方もあるんだよ」と伝えようとする「僕」。

まだ足りないっていうんなら、もっとちゃんと伝わるように努力するから

「本当の僕を見て欲しい」

「僕」の切なる想いが届けと願わずにはいられません。

青空が広がっていて、爽やかな風が突き抜けていくような情景の似合う曲・シリョクケンサ。

シリョクケンサの「僕」のように後先考えずに、素直に、まっすぐ人を想ったのはいつだったろうな。

大人になって「振られたら嫌だし」だとか「きっと嫌われている」だとか、わかりもしない将来のことを考えるあまり恋愛に臆病になりがちです。

シリョクケンサを聴くと、初心に帰るといいますか、まっさらな気持ちにさせられるのであらたに恋、始めてみようかな!という気分になります。

結果的に「僕」の恋が実るかどうかは描かれていませんが、相手に想いが届いて幸せな日々を送っていることを願いたくなりました。

切ないだけの曲は数多くありますが、青春独特の甘酸っぱさを感じられるシリョクケンサは名曲中の名曲です。

全身全霊で愛したい人があなたにはいますか?

今はいなくとも、いつか現れた時、シリョクケンサの「僕」の気持ちを本当の意味で理解できるような気がします。